高浜清(虚子)、城北練兵場での子規との出会い

今の愛媛大学(城北キャンパス)、松山赤十字病院がある辺りは敗戦まで「城北練兵場」と呼ばれる広大な野原であった。明治23年(1890)の夏、当時中学生だった高浜清(虚子)は、この練兵場でバッティングの練習中、東京帰りの学生の一団に遭遇、その中心人物で心をひきつけるような声の人が正岡子規であることをのちに知る。

松山城の北に練兵場がある。ある夏の夕其処(そこ)へ行って当時中学生であった余らがバッチングを遣(や)っていると、其処へぞろぞろと東京がえりの四、六人の書生が遣って来た。余らも裾を短くし腰に手拭をはさんで一ぱし書生さんの積りでいたのであったが、その人々は本場仕込みのツンツルテンで脛の露出し具合もいなせなり腰にはさんだ手拭も赤い色のにじんだタオルであることがまず人目を欹(そばだ)たしめるのであった。
「おいちょっとお借しの。」とそのうちで殊に脹脛(ふくらはぎ)の露出したのが我らにバットとボールの借用を申込んだ。我らは本場仕込みのバッチングを拝見することを無上の光栄として早速それを手渡しすると我らからそれを受取ったその脹脛の露出した人は、それを他の一人の人の前に持って行った。その人の風采は他の諸君と違って着物などあまりツンツルテンでなく、兵児帯(へこおび)を緩く巻帯にし、この暑い夏であるにかかわらずなお手首をボタンでとめるようになっているシャツを着、平べったい俎板(まないた)のような下駄を穿き、他の東京仕込みの人々に比べあまり田舎者の尊敬に値せぬような風采であったが、しかも自ら此の一団の中心人物である如く、初めはそのままで軽くバッチングを始めた。先のツンツルテンを初め他の諸君は皆数十間あとじさりをして争ってそのボールを受取るのであった。そのバッチングはなかなかたしかでその人も終には単衣(ひとえ)の肌を脱いでシャツ一枚になり、鋭いボールを飛ばすようになった。そのうち一度ボールはその人の手許を外れて丁度余の立っている前に転げて来たことがあった。余はそのボールを拾ってその人に投げた。その人は「失敬。」と軽く言って余からその球を受取った。この「失敬」という一語は何となく人の心を牽きつけるような声であった。やがてその人々は一同に笑い興じながら、練兵場を横切って道後の温泉の方へ行ってしまった。
このバッターが正岡子規その人であった事が後になって判った。(高浜虚子『子規居士と余』)


その翌年の24年5月23日、高浜清は友人河東秉五郎(碧梧桐)の紹介で、子規にはじめて手紙を書いた。この手紙で清は城北練兵場での出会いにふれ、文学に志があることを明かして、子規の指導を求めている。

小生大兄ノ高名を承る事久しく河東兄ノ家ニ游ブ毎に常ニ大兄の手習ニ接シ恋々の情止む能ハず。昨年夏城北練兵場ニ於テ始メテ君ニ相会フ事ヲ得ルト雖ドモ小生ノ小膽なる進で大兄ニ向テ語ヲ発スルノ機会を得ざりしハ家に帰りて已に遺憾に堪へず、今ニ於テ赧顔の至りなり。蓋シ余ノ兄ニ向テ斯く恋情忍ぶ能ハざる所以のものハ全く君と嗜好を等ふするによるものにして君が一言一句ハ以て余の肝膽に徹す可く以テ余が勇気ヲ奮フ可シ。嗚呼大兄若し鈍児を以て小生を退けず可憐児を以て憐情を垂れ区々タル小膽の希望を容れバ小生の幸福夫レ幾何ぞ。伏シテ請フ、正岡雅兄爾後時に訖正を垂れ教導訓誡の労を惜マルヽ無クンバ君ハ一ノ救世主ナリ。否救人主トコソ称す可けれ。情ノ禁ずる能ハざる所溢れて漫りに無礼の言を為す、若し高筆をわずらハす可くんバ幸甚。恐惶謹言
明治二十四年五月廿三日       城南の一漁史 高浜清
洛陽ノ鴻学
正岡雅兄                                     (句読点は引用者の付加)


この手紙を受け取った子規は同月28日、「真成之文学者また多少の必要なきにあらず、僕性来疎慵世事に堪へず妄りに戯文家を以て我任となす。(中略)賢兄僕を千里の外に友とせんといふ、僕豈好友を得るを喜バざらんや」と返信して高浜清を激励した。子規数え年25歳、高浜清18歳、のちに日本の俳句文学を革新することになる二人の交わりがこのときからはじまる。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第18巻(書簡1)講談社 1977年1月
『子規全集』別巻1(子規あての書簡)講談社 1977年3月
高浜虚子『回想 子規・漱石』岩波文庫 2002年8月

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沈丁花

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沈丁の香の石階(せっかい)に佇みぬ 高浜虚子(昭和18年4月12日)



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虚子「赤椿」の句

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造化又赤を好むや赤椿


高浜虚子、昭和23年(1948)2月11日作の句。「造化」は造物主。

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虚子「松過ぎの又も光陰矢の如く」

松過ぎの又も光陰矢の如く


高浜虚子、昭和15年(1940)1月10日作の句。正月の門松を立てておく期間(一般には7日まで)が「松の内」、それ以後のしばらくの期間が「松過ぎ」である。正月も松を過ぎるとまたあわただしい日々、またたく間に時が経過する。「光陰矢の如し」。月日がたつのは飛ぶ矢のように早い。

【典拠文献・参考文献】
高浜虚子『虚子五句集(上)』岩波文庫 1996年9月

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北条・西の下(にしのげ)

俳人・高浜虚子(1874-1959)は北条の「西の下(にしのげ)」というところで幼少期を過ごした。以下はその「西の下」についての虚子の記述。

私は四国の一隅にある松山といふ小都会に生れました。(中略)私はその南の方の市街のほゞ中央のところ(注-虚子の生家は湊町4丁目の子規生い立ちの家の北隣り)で生れたのでありますが、生れた年に一家をあげて松山から三里あまり隔ってをる風早の西の下といふところに移住しました。それは父が百姓になるつもりで、家族を連れて移住したのでありました。(中略)
幼い私の目に初めて映った天地は、その西の下の風光でありました。東の方には河野氏の城阯であるといふ高縄山がそびえてをりまして、それからずっと北に渡ってゐる山脈の流れに恵良、腰折といふ風折烏帽子のやうな二つの山がありまして、それから海の中には、鹿島といふ鹿のをる島がありまして、それから西の方の海の中には、千切、小鹿島、他に二つの岩が並んでをりました。夕方になると、日がこの千切、小鹿島の後の方に落ちまして、白帆が静かにその前に浮んでをりました。夜になると狐火が高縄山の麓の方にチラチラ灯ることがありました。私の家は畑の中に四軒並んでゐるその一番北のはづれの家でありました。この四軒は皆同じやうな考へのもとに帰農した人々でありまして、交際するのもこの四軒の人々だけでありました。(中略)
すぐ近くに、あまり大きな川ではありませんが、それでも大川とよんでをる川がありまして、それに土橋がかゝってをりましたが、その橋のたもとの堤の上に、大師堂がありました。その大師堂のほとりに石が立ってをりまして、その石に「阿波のへんろの墓」と古風な字を刻んでありました。これは沢山来る遍路の中に、この道端で亡くなった一人の遍路の墓であらうと思はれました。生国は何処かと訊いた時分にその遍路は阿波と答へたものでありませう。何か哀れな物語がありさうに思へるのでありました。



↓ 上引に言及のある西の下大師堂
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↓ 大師堂の傍らにある「阿波の遍路の墓」
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↓ 同じ場所には虚子の胸像と句碑(「この松の下にたゝずめば露のわれ」「道のべの阿波の遍路の墓あはれ」)がある。
「この松の~」は虚子、大正6年(1917)10月15日の句。詞書には「帰省中風早柳原西の下に遊ぶ。風早西の下は、余が一歳より八歳迄郷居せし地なり。家空しく大川の堤の大師堂のみ存す。其堂の傍に老松あり」とある。「道のべの~」は虚子、昭和10年(1935)4月25日の句である。
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「西の下」は虚子にとって心の原風景ともいえるところであった。晩年、虚子は伊予に帰省するたびに、「西の下」に立ち寄り、「阿波の遍路の墓」を拝したという。この墓が何者かによって取り去られたとき、虚子は深く悲しみ、自費で新たに「阿波の遍路の墓」を建てた。「この松の下にたゝずめば露のわれ」の句碑は昭和3年(1928)の建立。のちにこの句碑に「道のべの阿波の遍路の墓あはれ」を併刻した。

【典拠文献】
『定本高浜虚子全集』第13巻(自伝回想集)毎日新聞社 1973年12月
和田茂樹編『子規と周辺の人々』(増補版)愛媛文化双書刊行会 1993年9月
『虚子五句集(上)』岩波文庫 1996年9月

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