「粟の穂のこゝを叩くなこの墓を」

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松山市末広町の正宗寺にある正岡家の墓。碑表には「正岡氏累代墓 月光院常堅慧照居士 妍光院月窓慧雲大姉」とある。「月光院常堅慧照居士」は子規の父、常尚(隼太)、「妍光院月窓慧雲大姉」は常尚の先妻である(子規は後妻八重の子)。この墓はもと柳井町三丁目の法龍寺にあったが、昭和2年(1927)、子規の母八重の分骨を納めるに際し、正宗寺の「子規髪塔」南隣りに移された。

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柳井町三丁目の法龍寺にある「正岡家旧墓址」碑。

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法龍寺の門前にある「粟の穂のこゝを叩くなこの墓を」の子規句碑。句は明治28年(1895)秋の作。当時、法龍寺にあった正岡家の墓に参じての句で、『寒山落木』には同句に「法龍寺に至り家君の墓を尋ぬれば今は畑中の荒地とかはりはてたるにそゞろ涙の催されて」の前書がある。子規にとってこの墓は「家君の墓」=父常尚の墓であった。この頃の子規には自身を「不孝の子」であったとする思いが生じていたようで、29年発表の新体詩「父の墓」には「父上許したまひてよ われは不孝の子なりけり」の一節が見える。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第2巻(俳句2)講談社 1975年6月
『子規全集』第8巻(漢詩 新体詩)講談社 1976年7月
松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市役所 1994年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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