「朝寒やひとり墓前にうづくまる」

朝寒(あさざむ)やひとり墓前にうづくまる


正岡子規、明治28年(1895)秋の句。前書には「観山翁の墓に詣でゝ」とある。子規は祖父大原観山(1818-1875)を敬愛していた。観山の墓に詣でたこの日、子規の胸中には祖父の思い出が種々去来したに違いない。

観山の墓は現在、山越の来迎寺にあるが、柳原極堂『友人子規』に「観山の墓は初め其菩提寺松山市湊町四丁目の裏の正安寺に在りしが、其五十年祭に当りて拓川(注-観山の三男加藤恒忠)は姪大原尚恒と計り之を山越来迎寺に移した」とあるから、明治28年に子規が詣でた時点では、正安寺にあったのだろう。両寺はともに浄土宗の寺である。

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楽邦山正安寺(湊町四丁目)

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西宮山来迎寺(御幸一丁目)

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大原観山の墓。側面には「容止端正 学殖渕深 待人甚恕 責己最厳 其学其徳 何人不欽」の銘がある。「容止は端正にして 学殖は渕深なり 人を待つこと甚だ恕にして 己を責むること最も厳なり その学その徳 何人か欽(した)はざらん」。「容止」は立居振舞、「恕」は寛容、「欽」は尊敬して慕うの意である。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第2巻(俳句2)講談社 1975年6月
松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市役所 1994年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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