大原観山「升に教えるのは楽しみじゃ」

正岡子規は数え年7歳のころ、祖父大原観山の家に素読を学びにかよった。子規の覚えはよく、観山は教えるのが楽しみだと言った。

小学校へ行くその前に、祖父の処へ素読に参りますが、朝暗いうちに起しますから、なかなか起きませんので、毎朝毎朝蜜柑やお菓子を手に持たしては目をさまさせます。そうせんと起きませんのよ。祖父は大変升(のぼる)を可愛がりまして、升はなんぼたんと教えてやっても覚えるけれ、教えてやるのが楽しみじゃというておりました。(正岡八重談・碧梧桐記「母堂の談話」)


だが、子規は勉学にはあまり熱心ではなかった。あるとき観山は「自分が幼いころもお前ほどは遊ばなかった」と言って子規を発奮せしめた。

余幼より懶惰、学を修めず。八、九歳の頃、観山翁、余を誡めて「余の幼なる時も汝程は遊ばざりし」といはれし時には多少の感触を起したり。翁は一藩の儒宗にして人の尊敬する所たり。余常に之を見聞する故に後来学者となりて翁の右に出でんと思へり。(正岡子規『筆まかせ』第一編「当惜分陰」)


その観山が病没したのは明治8年(1875)4月11日、子規数え年9歳のときであった。観山の病状が悪化してからは、近親者の大人はいうに及ばず、子供までが大原家につめて看護したという。

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松山市一番町の萬翠荘敷地内に保存されている観山・子規ゆかりの庭石。
二人はこの庭石の上で囲碁を楽しんだと伝えられている。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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