河東碧梧桐の句碑

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「銀杏寺をたよるやお船納涼の日」(松山市神田町・定秀寺)

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「さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ」(松山市役所前)

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「温泉(ゆ)めぐりして戻りし部屋に桃の活けてある」(道後2丁目「俳句の道)

河東碧梧桐(1873-1937)は高浜虚子と並ぶ子規の高弟。子規の没後、「新傾向」を唱えて、五七五の定型や季題を否定。「短詩」を提唱したり、「ルビ俳句」を試みるなどしたが、その文学的営為はついには破綻、還暦祝の席で俳壇引退を表明した。引退の4年後死去。

かれの歩んだ途は、結果において、失敗であった。しかし、わたくしは、それを、輝かしい失敗だったと認めたい。失敗でも、碧梧桐ほどの偉いことをしでかしての失敗は、率直に尊敬すべきものである。凡人どもがまねたって、まねられるものではない。これは皮肉でも逆説でもない。(小西甚一『俳句の世界』)


今日2月26日はその碧梧桐が生まれた日である。

【参考文献】
小西甚一『俳句の世界』講談社学術文庫 1995年1月

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テーマ : 日記
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