「長崎キリシタン流謫碑」(カトリック松山墓地)

慶応3年(1867)、長崎浦上山里村(現・長崎市)のキリシタンが摘発され、信徒3414名が薩摩、長州、安芸など20余の藩に流配された。松山藩にも86名の信徒が流配、藩は彼らを三津口の牢に入れ、のち築山(衣山)の長屋に移した。彼らが故郷に帰ることができたのは、キリシタン禁止の高札が撤廃された後の明治6年(1873)だったという。
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カトリック松山墓地(松山市朝日ヶ丘)にある「長崎キリシタン流謫碑」。幼いころ、松山に流配された山口宅助神父(諌早教会)が昭和12年(1937)に建立した。台座前面には、当地で死亡した信徒の名(「長崎浦上村住人 ペイトロ宅四郎 ペイトロ六右衛門 パオロ米蔵 ロメゴス市兵衛 ペイトロ豊吉 シワンノ八十八 マリナテル ロメナタネ 外数名」)が刻まれている。

【参考文献】
松山市史編集委員会編『松山市史』第2巻 松山市役所 1993年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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