夏目漱石、二番町への転居

夏目漱石の在松時代(明治28年4月9日~翌年4月11日)の寄寓先は、①三番町「きどや旅館(城戸屋旅館)」(4月9日より数日間)、②一番町「愛松亭」(4月~6月下旬)、③二番町「上野義方邸の離れ(愚陀仏庵)」(6月下旬~翌年4月)。最もながくいたのは③であったが、その③に転居する経緯について、弘中又一(漱石の松山中学在職時の同僚。一説では『坊っちゃん』の主人公のモデル)は次のように述べている。

いか銀の家(引用者注-②のこと)に移った漱石はその後かたの如く骨董攻めに会って、茶を飲まされて、最後に毎日女房に足を拭かせるとのデマを聞いて中村色男君(引用者注-中村宗太郎。松山中学教員。「色男」はあだ名)が教員室で披露したので、平素温厚の漱石もとうとう腹を据え兼ねて、同日同僚中堀貞五郎氏(うらなりの半身)の世話で、歩行町(引用者注-二番町の誤り)の上野老夫婦の家に引越し、以後ずっと此処に落ちついた。(弘中又一「手記」。引用は曽我正堂『伊予の松山と俳聖子規と文豪漱石』所引による


漱石は松山中学の同僚、中堀貞五郎の紹介で③に移ったという。中堀貞五郎は愛媛県今治市出身、松山中学では地理、物理などを教えていた。『坊っちゃん』に登場する「うらなり」のモデルであるともいう。この中堀は正岡子規の妹律の二度目の結婚相手でもあった(明治22年6月律と結婚、翌年4月離婚)。

28年6月下旬に中堀貞五郎の世話で③に住まいを移した漱石。同年8月27日には、この漱石のもとに正岡子規が転がりこんでくる。子規はこの漱石の住まいに50日余り滞在するのだが、妹律のもと夫が漱石に紹介した住まいであったということを知っていたかどうか……。「同僚の中堀貞五郎さんの周旋でここに移った」「中堀? 律の亭主だった人だ」というような会話がこの二番町の家であったかもしれない。

【典拠文献・参考文献】
曽我正堂(鍛)『伊予の松山と俳聖子規と文豪漱石』三好文成堂 1937年4月

二番町の漱石の寄寓先(愚陀仏庵)については、ブログ2011年1月7日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-471.html
中堀貞五郎については、ブログ2010年12月8日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-460.html
松山中学教師時代の漱石の同僚については、ブログ2011年1月13日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-476.html

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード