幼時の子規、「そこお動きなよ」と言われて……

正岡子規は数え年六歳のころより伯父佐伯政房(半弥)のもとに通い、御家流の書を学んだ(『筆まかせ』第二編「手習の時代」に「余も六歳頃より佐伯伯父のもとへ行きお家流を習ひ」とある)。佐伯政房は子規の父常尚の兄、旧藩時代は大小姓で祐筆をつとめ、御家流の書に巧みであった。子規、六歳のころのその佐伯政房の家でのエピソード、次のようなことがあったと妹律が語っている。

或時、伯父が不在で、しばらく待ってゐる中(うち)居合した従兄――政直を兄さん兄さんと呼んでゐました――が、俺が教へてやらうと言った。お帰りまで待ってゐます、と言ってきかず、そんなら、そこお動きなよ、と言はれて、かなりな時間、ぢっと坐ったきりでゐました。やっと伯父が帰って、サア教へてあげようと兄の様子を見ると変だし、又た部屋中が妙に臭い。升さんどうかおしたか、と言っても急に返事もしない筈、べっとりと大便をしてゐたさうで、あとで、どうしてあんなことをしたのか、と詰問すると、それでも、そこお動きなよ、と言はれたからだ、と言ったさうです。


「そこお動きなよ」と従兄の政直に言われた子規は、その言葉どおり坐りつづけて伯父の帰りを待ち、粗相をしてしまったのであった。武士の子としてしつけられた子規は、言われたことには従わなければいけないと頑なに信じていたようである。

「日下伯巌先生や武知五友先生の字は幼稚で俗気がある。いわゆる書家の字は野卑の極み、却って素人にうまいのがある。僧侶の字は案外垢抜けしたものが多く、松山では蔵山和尚、明月和尚の字が群を抜いている」(取意)――明治32年(1899)8月23日付の手紙で、子規は書についての持論をこう開陳している。この忌憚のない論が記された手紙の宛先は佐伯政直、幼い子規が粗相をしたときのあの政直兄さんであった。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』第19巻(書簡2)講談社 1978年1月
『子規全集』別巻3(回想の子規2)講談社 1978年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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