子規の溌々園訪問

当ブログ3月22日記事で、正岡子規の溌々園(三津の料亭)訪問の回数を『子規全集』第22巻「年譜」にもとづいて9回と記載したが、後日、閲読した森元四郎論稿「子規と三津」によると、その回数は13回または14回以上となるということである。訂正の意味も含めて同論稿の記述するところを下に示しておこう。

①明治20年8月以前 加藤拓川につれられ2、3回
②明治22年9月7日 (豊島昌義病気欠席)
③明治22年9月9日 中秋の名月
④明治23年1月5日 新年会
⑤明治23年1月23日 船待ち、塩湯
⑥明治23年7月24日 水泳帰り
⑦明治23年7月某日 紅葉会(第6回)
⑧明治24年8月23日 千舟学舎同窓会
⑨明治25年7月19日 松山競吟句会(第2回)
⑩明治25年7月22日 会食
⑪明治25年8月5日 松山競吟句会(第5回)
⑫明治25年8月16日 松山競吟句会(第6回)
⑬明治22年7月以降 妹律同伴


上記に加えて、明治22年9月24日の「三津に遊ぶ」も溌々園訪問と推定されるから、総計14回以上という数字が導き出される。なお、同論稿によると、三津の内港が改修されたため、溌々園の跡地は現在、海の底になっているという。住吉2丁目11番地の西南側の海底がその跡地であるらしい。

(①の時点では「溌々園」の名称はない。この名称での営業は明治22年5月19日以降)

【参考文献】
『子規全集』第22巻 講談社 1978年10月
森元四郎「子規と三津」 『子規会誌』10号 1981年7月

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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