少年子規、回覧雑誌を発行する

正岡子規の少年時代以来の友人、近藤元晋(我観・小南)は、子規が数え年13歳のころに始めた手書きの回覧雑誌の記者を担当、取材してきた大街道「暴れ馬」事件は記事に採用されたという。

私はよく正岡の宅に行きました。(中略)東に向いてゆくと右側に部屋があって、それに中障子がはめてあったと記憶します。その窓はよほど低かったと見え子供の私たちはその窓から子規が机にもたれて字を書いてゐるのを見てゐました。その時子規は「わしが新聞をこしらへるけんお前らは探訪をおやり」と申し、私たちが聞いたことや見たことをこれに報告すると「これはつまらんから捨てる。これは面白いからものになる」といって、それを文章にして回覧新聞のやうなものを作ってわれわれ仲間に回覧させてゐました。(中略)私が持って帰った材料で採用されたのは大街道で二番町の突き当りに船田といふお医者さんがあった。そのお医者さんのうちへ井戸の豊島の馬が繋いであったところが荒れ出して大街道を駆け回り人を蹴って怪我をさせた事件で「これはえゝ記事じゃけん書こわい」といって居士が「桜亭雑誌」に載せたのを覚えてゐます。(「子規を語る」)


近藤元晋取材のこの「暴れ馬」事件は、「桜亭雑誌」という子規手書きの回覧雑誌の第四号に「雑報」として掲載された。その記事は下記の通り。

小唐人町ニテ白馬アリ 三ツノ人ニ噛ミ付 一人ハ胸板ヲ噛マレ 一人ハ肩ヲ傷キ 又其一人ハ脇腹ヲ痛ムト 其故モ知ラズ 只朋友ノ話(明治12年5月15日発兌「桜亭雑誌」第四号)


「小唐人町」とあるのは大街道のこと、「朋友」が近藤元晋であるのはいうまでもない。この雑誌の「桜亭~」という名称は子規宅の庭にあった桜の大木に由来するものである。何号まで発行されたかは不明であるが、第一号、第四号、第五号が現存している。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第9巻(初期文集)講談社 1977年9月
『子規全集』別巻3(回想の子規2)講談社 1978年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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