昭和5年11月4日、秋山好古死去

昭和5年(1930)11月4日、秋山好古死去。下はその死を伝える新聞記事。

秋山大将逝く 軍医学校で加療中
後備陸軍大将秋山好古氏は去月二十日糖尿病と脚部の脱そ病のため牛込区戸山町の陸軍軍医学校に入院。去る一日右足切断の大手術後経過良好ならず遂に四日午後七時十分逝去した。行年七十二。
日露戦争の勇将
秋山将軍は安政六年正月を以て生れ、明治十二年騎兵少尉に任ぜられ、大正五年陸軍大将に累進し十二年予備役となる。日清役には騎兵第一大隊長として出征し功四級金鵄勲章を賜はり北清事変には清国駐在参謀長として功三級を賜はり、日露役には騎兵第一旅団長として出征し、「秋山騎兵隊」の名を世界にとどろかし功二級を賜った勇将で、明治三十九年騎兵監となり、第十三師団長、近衛師団長、朝鮮駐在司令官、教育総監、軍事参議官に親補せられたが、予備役となってからは故郷松山に帰り、市有力者の懇望により大正十三年春から私立北予中学の校長に就任した。もっとも将軍は大阪の師範学校卒業生で小学校教員の免状を持ってゐるので教育界とは全然関係がなかった訳ではない。中学校長としての将軍はヒンデンブルグとあだ名され郷党子弟の崇拝を集め全国中学校長等と議論も戦はす程であった。因みに海軍の智恵袋といはれた故秋山真之少将は将軍の令弟に当る。(昭和5年11月5日付「朝日新聞」)


秋山好古大将 本郷大将に抱かれ昨夜軍医学校で逝く
後備役陸軍大将秋山好古氏は左脚部脱疽と糖尿病を病んで去月十五日から陸軍々医学校に入院、女婿の土肥博士、原田軍医正看護のもとに治療中であったが、病状次第に悪化し、去る一日左大腿部を切断したが、経過わるく容体急変、遂に四日午後七時十分逝去したが、同家では九時十分逝去の旨発表した。享年七十二。危篤の報と共に多美子夫人、慶大在学中の二男次郎君、長女よし子嬢を初め白川前陸相、志岐幼年学校長、久松伯夫妻を初め近親や友人が枕頭に駆けつけた。閑院元帥殿下には同日午後特に和田御付武官を御差遣あらせられ御見舞のお言葉を賜はった。五日朝三菱小樽支店勤務の令嗣信好氏帰京と共に遺骸を赤坂区丹後町一の自邸へ運ぶ筈であるが四日夜は軍医学校で通夜した。(以下略)(昭和5年11月5日付「毎日新聞」)


道後の鷺谷墓地には秋山好古の墓がある。
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「永仰遺光(永く遺光を仰ぐ)」とある。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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