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子規、三津「溌々園」の塩湯に入る

正岡子規が十数度も訪れた三津の料亭「溌々園」には塩湯の施設があった。塩湯=海水または塩水をわかした入浴施設。明治23年(1890)1月23日、子規は船待ちのため溌々園を訪れ、その塩湯に入っている。

一月廿三日(中略)正午に三津へ下りしが、船は中々に来らず、新浜のいけ巣へも御暇乞に行き、塩湯に入り晩餐を喫し、久保多へ帰りたれど舟は見えず。(正岡子規『筆まかせ』明治二十三年の部)


「新浜のいけ巣」とあるのが溌々園、「久保多」は久保田(窪田)回漕店である。風呂嫌いであった子規であるが、厳寒の1月、溌々園の塩湯であたたまろうとしたのであろう。子規は松山に帰省するたびにこの溌々園を訪れていた。秋山真之、柳原極堂らとの新年会(明治23年1月5日)、紅葉会(常盤会寄宿舎時代の文学同好会・23年7月某日)、河東静渓を囲んでの千舟学舎同窓会(24年8月23日)、虚子・碧梧桐らとの競吟句会(25年7月19日、8月5日・16日)……いずれもこの溌々園が会場であった。子規、青年時代の楽しい思い出のいくつかは、当時、三津にあって「いけす」と通称されたこの溌々園でつくられたものだったのである。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』第22巻(年譜 資料)講談社 1978年10月

明治27年10月刊の『商工案内松山名所普通便覧』(近藤南岳編)に、松山地方の商工業者の一覧があり、溌々園は、

料理商
魚生御料理
生洲事 溌々園
三津旧船場


と出る(近代デジタルライブラリー『商工案内松山名所普通便覧』第74画像)。溌々園の敷地内には海水を引き込んだ大きな「いけす(生洲・生簀)」があり、料理用の魚をそこで泳がせていた。「いけす」の通称はそれによるもの。
DSCF5543_convert_20110910090034.jpg
溌々園があったと思われる辺り(松山市住吉2丁目)。三津内港の改修で溌々園の跡地の大半は海底となった。同園については下記、過去のブログ記事も参照していただきたい。
2009年3月22日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-14.html
2009年9月1日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-85.html
2010年1月28日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-208.html
2010年3月11日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-237.html
2010年3月13日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-251.html
2011年1月5日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-466.html

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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