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子規、ホトトギスの声を聞く

正岡子規が明治22年(1889)、数え年23歳のときに自らの号として選んだ「子規」とは、周知のようにホトトギスのことだが、子規自身はその時点では、ホトトギスの声というものを聞いたことがなかった。それとおぼしき声を聞いたのは27年、確かに聞いたといえるのは29年だったようである。

われ故郷にありし頃時鳥(ホトトギス)の声聞きたる事なし。東京へ来て後も十年絶えてそれとおぼしき声を聞かず、根岸に移りても聞かんとの年少かりしためにや猶(なお)時鳥を知らず。一昨年の頃やゝそれかとばかり聞き初(そ)めたり。おぼつかなければ
  それでなくとそれにして置け時鳥
など口ずさみて自ら笑ひしが今年は如何にしたりけん春の暮より夏にかけて頻りに鳴き立てたり。ある時昼過ぎなりけんキヨキヨといふ声聞えて二の声も三の声も同じ処に近く聞ゆるにさらば障子押し明けて其姿見まほしといらだちたりしかど足立たねばそのまゝやみぬ。(正岡子規『松蘿玉液』明治29年8月1日条)


子規は生きたホトトギスの姿をついに目にしていないが、下記『墨汁一滴』の記述によると、子規の居室には贈り物の剥製のホトトギスが置かれていたようである。

根岸に移りてこのかた、殊に病の牀にうち臥してこのかた、年々春の暮より夏にかけてほとゝぎすといふ者の声しばしば聞きたり。然るに今年はいかにしけん、夏も立ちけるにまだおとづれず。剥製のほとゝぎすに向ひて我思ふところを述ぶ。此剥製の鳥といふは何がしの君が自ら鷹狩に行きて鷹に取らせたるを我ために斯く製して贈られたる者ぞ。(『墨汁一滴』明治34年5月11日条)


この剥製の贈り主「何がしの君」というのは、旧藩主家の当主、久松定謨(さだこと)であろう。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第11巻(随筆1)講談社 1975年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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