「貧乏神ハ終身好古ノ附属」

好古モ馬ヲ一頭購求シ貧乏ノ上ニ馬ノ飼料トカ別当トカニテ彼レ是閉口セリ 貧乏神ハ終身好古ノ附属故 別ニ心配ヲナサズ 内心ハ苦シキモ人ニ対シテハ大威張リニ暮ラシ居候


秋山好古が留学先のフランスから松山の家族に宛てた手紙の一節。経済的には苦しいが、貧乏神は終生自身の付属と好古らしく達観している。その公式の伝記によると、フランス私費留学中は、陸軍から俸給の半額と旧藩主久松家から年額千円の手当を受けていたが、酒代や交際費がかさむため、いつも月末の一週間ほどは無一物で、わずかにパンのみを食べて下宿に籠っていたという。当時、フランスには同じ松山出身の親友加藤恒忠が外交官として駐在していたが、この気の合う飲み友達がいたということも酒代がかさむ一因であったらしい。加藤恒忠は号・拓川、正岡子規の叔父である。上京を念願していた子規を東京に呼び寄せたのは加藤であった。好古と加藤は松山ではともに藩校明教館の秀才といわれていた。武の秋山、文の加藤と並び称されていたと好古の伝記には記されている。

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【典拠文献・参考文献】
秋山好古大将伝記刊行会(代表者桜井真清)『秋山好古』(復刻版)マツノ書店 2009年4月(原本1936年11月)

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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