秋山好古の故郷出立

明治8年(1875)1月、数え年17歳の秋山好古(信三郎)は、自立の道を求めて、故郷を出立、三津浜から海路、大阪に向かった。好古の公式の伝記は、この故郷出立を次のように描き出している。

かくて明治八年一月、第十七回の誕生日を迎へたばかりの好古青年は、両親を始め親戚の人達に見送られて、乗船場とは云へ波止場も桟橋もない三津浜の海岸に立った。絣の着物に小倉の袴を穿き、腰には手拭をぶら下げてゐたさうである。前途の希望に血を燃やす若き彼には、氷のやうな一月の風も、岸に砕ける波の飛沫も、寒くも冷たくもないかの如く、見送りの従姉弟達に向って元気よく、
「お前達も精出して、しっかり勉強をおしよ、勉強の仕合ひこをしようぞな」
などゝ言ひ残しつゝ、やがて船は大阪に向って錨を抜いたのである。(中略)
好古青年は同郷の近藤元粋氏と同道上阪したのであるが、近藤氏が数十円の旅費を携へたるに反し、彼は僅に八円(或は三円とも云ふ)を懐にしたばかりであった。(秋山好古大将伝記刊行会『秋山好古』)


『坂の上の雲』の好古故郷出立の場面は、上引の伝記の記述にもとづいて書かれたものであるが、小説という形になるとこれが次のように改まる。

大阪ゆきは、年があらたまった正月になった。明治八年である。
船でゆく。
このころ内海には日本人資本による蒸気船がさかんに活動していた。松山の港は、三津浜である。
桟橋もなかった。ただの海浜で、その波打ち際に小さな伝馬船が待っているだけである。
「お金を落とさんようにな」
と、見送りにきた母のお貞がいったが、信さんが両親からもらった金は運賃のほかはわずか三円しかない。(中略)
信さんは古着を仕立てなおしたカスリの着物に小倉の袴といういでたちであった。
同行者が、一人いる。
旧松山藩の儒者の子で、近藤元粋と言い、これは信さん―秋山好古―より九つ年上であり、すでに大人である。信さんとおなじ目的で大阪へゆく。
「近藤のニイサンはいくら持っとるかの」
と、信さんは船中できいた。
「三十円ほどか」
かぞえて二十六歳になる近藤元粋はいった。信さんは目をまるくして、
「ほな、あしの十倍じゃ」
といった。近藤は苦笑したが、
(いくら小僧でも三円ではむりではないか)
とおもったりした。 (『坂の上の雲』「春や昔」の章)


伝記に書かれた「絣の着物に小倉の袴」は「古着を仕立てなおしたカスリの着物に小倉の袴」、所持金の「僅に八円(或は三円とも云ふ)」は「わずか三円しかない」というように、小説では秋山家の貧が強調されている。「お前達も精出して……勉強の仕合ひこをしようぞな」という台詞は小説には反映されていないが、ドラマ《坂の上の雲》ではこの台詞が活かされていた。

秋山好古が旅立った三津浜の港は、遠浅のため大型の船は沖に停泊して、艀(はしけ)で乗船客を運んでいた。正岡子規、秋山真之ものちにこの港から旅立つことになる。

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現在の三津浜港。秋山好古が旅立った当時の汽船乗り場については、次回のブログ記事を参照していただきたい。

【典拠文献・参考文献】
司馬遼太郎『坂の上の雲(一)』文春文庫(新装版) 1999年1月
秋山好古大将伝記刊行会(代表者桜井真清)『秋山好古』(復刻版)マツノ書店 2009年4月(原本1936年11月)

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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