正岡子規、秋山真之-学生時代の寄席通い

正岡子規、秋山真之、柳原正之(極堂)らは学生時代、連れ立って盛んに寄席通いをしたが、率先して「寄席に行こう」と言っていたのは秋山真之だったようである。以下、当時のことについての柳原正之の証言。

晩飯の箸を置くと「さあ行かう」といひだすのは秋山だった。行かうといふ所は寄席だった。小川町には小川亭といふのがあった。万世橋のところには白梅といふのがあった。其他にもいろいろの寄席があったが、小川亭がいちばん近いのでよく小川亭に出かけた。其のころは大きな下足札を呉れてゐた。
今は寄席も落語も凋落してゐるが其のころはまだなかなか盛んな時代であった。落語家にも宜いのがゐた。併し何時だって前座にはまづいのがゐるに定まってゐる。すると秋山が、みんなの下足札を集めて「ダメダメ」なんて怒鳴りながら其の下足札をバチバチ打鳴らして叩きおろしてしまった。後には正岡も秋山の尻馬に飛び乗って「ダメダメ」なんて下足札を頻りに鳴らした。書生時代だから面白半分にやったのだ。
其のころ十八九位の都(みやこ)といふちょっと可愛いゝ娘がゐた。小川亭や白梅にしょっちゅう出てゐた。母親らしいのが三味を弾いて、其の娘が長唄をうたってゐた。そして長唄が終ると腰だけちょっと上げて、膝だけで踊ったが、それが可愛いゝので評判だったし、書生仲間の噂の中心になってゐた。其のころ人気のあった落語家の今輔なども、此の膝だけの踊をよくやってゐた。秋山も正岡も、都が出るといふとよく出かけて行った。
秋山が浄瑠璃本を頻りに読みだしたのも此のころだった。当時の寄席では娘義太夫が盛んであったし、義太夫を聞くには、浄瑠璃本を読んでゐなければわからないので、自然と近松ものなどを読むやうになった。(「寄席」)


子規、真之は娘義太夫の都(みやこ)のファンだったようである。こうした寄席通いの日々……勉強はどうしていたのかといえば、子規はともかく秋山真之のほうは、寄席から帰るとすぐ勉強にとりかかっていたという。以下も柳原正之の証言。

寄席へ行った晩でも、秋山は下宿に帰るとすぐに勉強にとりかゝった。徹夜をやる事もしばしばだった。正岡も敗け嫌いだったので「俺もやる」といって徹夜の競争をやった。だが残念ながら正岡は秋山よりも体力が弱かった為めか、よく机に凭れたまゝで眠ってしまった。(「子規の影法師」)


子規、真之が勉強の「徹夜の競争」をしていたことについては、当ブログ2010年12月1日記事も参照していただきたい。→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-455.html

【典拠文献・参考文献】
秋山真之会編著『秋山真之』(復刻版)マツノ書店 2009年4月(原本1933年刊)

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード