子規、幼少期の遊び

子どもの頃の子規は戸外の遊びを好まず、もっぱら家の中で遊ぶのが好きだったようである。

手もえっぽど鈍で、紙鳶(たこ)もえゝあげず、独楽もえゝまはしせんでした。(正岡八重「母堂の談話」明治35年11月)

倅(せがれ)は小児の時からおとなしくて他家の児のやうに、竹や木を持って遊びませんでした。今考へますとそれは強い身体でなかったからでせうかと思ひます。妹の方が余程オテンバで御坐いました。(正岡八重「子規居士幼時」明治42年)

凧揚げて遊ぶもの多かれど余は餘り之を好まざりき。総て戸外の遊戯はつたなき方なりければ内に籠り居て独り歌がるたを拾ひこよなき楽みとせり。(子規「新年二十九度」明治29年)


上引にもあるように、子規が好んでいたのは「歌がるた」。叔父加藤拓川から贈られた「歌がるた」は子規お気に入りの品だった。

ある年東京へ行く某の叔父に歌がるたを頼みけるに疾く送りこされぬ。其かるた善き品にて、我家には過ぎたりと人皆のいへりしが、其かるたいたく我が気に入りて年々の正月を待ち兼ねたり。相手無き時は自ら読み取りて楽みとす。曾根好忠の赤き扇は中にもうつくしく感ぜられて今に得忘れず。(子規「吾幼時の美感」明治31年)


好忠の札の赤く描かれた扇を美しいと感じていた子規。美しいと感じるものに接するのが、このうえない楽しみだったようである。

内裏雛一対、紙雛一対、見にくゝ大きなる婢子様一つを赤き毛氈の上に飾りて三日を祝ふ時、五色の色紙を短冊に切り、芋の露を硯に磨りて庭先に七夕を祭る時、此等は一年の内にてもっとも楽しく嬉しき遊びなりき。いもうとのすなる餅花とて正月には柳の枝に手鞠つけて飾るなり。それさへもいと嬉しく自ら針を取りて手鞠をかゞりし事さへあり。昔より女らしき遊びを好みたるなり。(子規「吾幼時の美感」明治31年)


「女らしき遊び」を好んでいたと自ら述べているが、雛祭、七夕飾り、正月の餅花……折々の行事の色彩豊かな品々が幼少期の子規の美感を刺激して、恍惚境たらしめていたのであろう。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード