松山城・登城道

城山(標高132m)に歩いて登る道は、①「黒門口登城道」、②「東雲口登城道」、③「県庁裏登城道」、④「古町口登城道」の四本がある。
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①「黒門口登城道」
慶長の築城当時に造られた道。藩政時代は二之丸から本丸への正面の登り道だったが、明治17年(1884)、堀之内(三之丸)が兵営となったため閉鎖。以来、道は荒廃していたが、昭和44年(1969)、改修が完了し登城道として利用されるようになった。中門(塩見門)跡には江戸時代の石畳がそのまま残っている。

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②「東雲口登城道」
加藤嘉明が築城の際、資材を運搬するために造った道。幕末、嘉永年間の天守再建の折りにも資材の運搬道として利用された。ロープウェイ・リフトはこの道と平行している。

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③「県庁裏登城道」
明治43年(1910)、山頂の本丸が「松山公園」として開園されるに当たり、そこへの道として新たに造られたもの。昼休み時間には県庁の職員が運動のために登っている。

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④「古町口登城道」
③と同時期に造られた道。藩政時代には北ノ郭からの登城道もあったようだが、今は雑木に覆われている。

正岡子規(1867-1902)が明治34年(1901)のエッセー「初夢」で故郷松山に言及し、「なるほどこりゃ御城山へ登る新道だナ」と言っているのは、②のことであろうか。資材の運搬道であった②が人の登る道として新たに整備されたというようなことがあって、「新道」といわれたのかもしれない。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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