「正岡子規誕生邸址」(松山市花園町)

正岡子規の生家跡(松山市花園町)に建つ記念碑(「正岡子規誕生邸址」碑)。
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子規は慶応3年(1867)9月17日(新暦10月14日)、温泉郡藤原新町(のち松山市新玉町。現在の松山市花園町)の正岡家で生まれた。母八重によると、「赤ン坊の時はそりゃ丸い顔てゝ、丸い顔てゝよっぽど見苦しい顔でございました。鼻が低い低い妙な顔で」あったという。子規2歳の時、正岡家は湊町新町(湊町4丁目)に転居。藤原新町の生家についてはあまり情報がなく、柳原極堂の『友人子規』にも下記のように書かれているのみである。

其生家は松山の何処であったか、今の松山市新玉町一丁目であることは早くより聞いてゐたが、其位置が近ごろまで判然しなかった。
ところが子規の近処で生れた一色則之と云ふ人が現に松山市新玉町に住ってゐて、其人の話で漸く其の位置が判然するに至ったのは欣幸である。
伊予電鉄株式会社の松山市駅前から北へ松山兵営南門前に通ずる道路が花園町で、其大分北へ寄ったところに西へ折れる町が新玉町である。其曲り角から家数の五六軒も西へ歩んだところで、丁字形に北方から小さい道路が突き当たって来てゐる。其処をモウ十歩か十五歩西へ歩いた南側が子規の誕生地であるさうだ。一色氏の語るところによると表はオロ垣(竹の枯枝の方言)を結ひ垣の内には珊瑚樹の木が並んでゐたさうである。
一色氏は又曰ふ、曾祖母に当るお婆さんが「処(トコロ)さん」を抱いてその垣の外に立ってゐるのをよく見うけたものであると。当時子規は処さんと呼ばれてゐたさうだ。


【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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