子規「薫風や大文字を吹く神の杜(もり)」

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薫風や大文字を吹く神の杜 子規


子規、明治30年(1897)夏の句。「俳句稿」では「立花天神祭礼」の前書でこの句がある。句碑は松山市北立花町の井手神社境内。同神社には摂社として天満宮があり、旧暦6月24・25日の天神祭には「大文字(おおもじ・おもじ・おもうじ)」と呼ばれる墨書奉納の行事がおこなわれていた。句はこの行事を詠んだものである。「大文字」については「母堂の談話」(正岡八重談・碧梧桐記)、「家庭より観たる子規」(正岡律・碧梧桐の対談)、『友人子規』(柳原極堂)にそれぞれ次のような言及がある。

松山の立花神社といふ天神様へ、六月の廿四五の二日のうちに、大文字といふて大きに字を清書してあげると、手があがるといふので持っていきよりましたが、升は唐紙や画箋紙などへ二三人のよせ書きをして大きな大きなものをこしらへて、松の木の枝などへ吊るのを楽しみにして居りました。七夕の短冊なども妹と紙が多いぢゃの少ないぢゃのいふて、すき好んで書きました。(「母堂の談話」)

(碧)立花神社の大文字――私どもでは、オモジと言ってゐました。お祭の日に大きな字を書いてあげると、手が上手になるといふ、昔の話らしい習慣、あれもお書きになったのでしたね。
(律)おもじ、私ども女は、オモウジ、と長く引張ったやうに思ひます。兄も、けふはオモウジの日だ、といふと、其の日に限って、判紙をついだりしないで、唐紙と言ひましたか、大きな一枚紙を買って来て書いたりしました。(「家庭より観たる子規」)

松山市街の南石手川堤に沿うて立花神社といふがある。其境内に天満宮が祀られてゐるため毎年夏(子規時代には旧暦六月二十四、五日の両日)天神祭なるものが行はれて相当の人出がある。菅公は文学の神だと云ふので当日は拝殿といはず楽堂といはず、ありとある軒から軒は勿論境内の松の樹などへも縄を張めぐらして、或は高く或は低く多数の書を吊り懸けたものである。地方では之を大文字(おほもじ)と称へて神に能書の願をかけるために奉納するのであるが、其実は書の腕くらべ競走である。子規もこれへ盛に大文字を出したものである。(『友人子規』)


「大文字」の行事には少年子規も書を奉納していた。『筆まかせ』「手習の時代」に「昔の小供は読書をするよりは手習の方を専一とせし故、従て拙筆といへども可なりに上手なりき。(中略)余も六歳頃より佐伯伯父のもとへ行きお家流を習ひ、八歳頃智環学校に入学せしが、此頃は同校は法龍寺にありて課業は習字一方なりき」とあるように、子規の勉学はまず習字より始まった。後年、子規は洒脱な味わいの字を書くかなりの能書家となるが、その力量は「大文字」に書を奉納していた幼少期の頃より培われてきたものだったのである。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月
『子規全集』別巻3(回想の子規2)講談社 1978年3月
松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市役所 1994年4月

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