三津厳島神社「戦利兵器奉納の碑」

DSCF3626_convert_20110701232330.jpg

DSCF3628_convert_20110701232510.jpg

三津厳島神社の境内にある戦利兵器奉納の碑。日露戦争の戦利兵器が同神社に下付されたことを記念して建てられた碑である。碑文は下記のとおり。

戦利兵器奉納ノ記
是レ明治三十七八年役戦利品ノ一ニシ
テ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ濺キ
大捷ヲ得タル記念物ナリ 茲ニ謹テ
之ヲ献シ以テ報賽ノ微衷ヲ表シ

皇運ノ隆昌ト国勢ノ発揚トヲ
祈ル
明治四十年三月
  陸軍大臣寺内正毅(花押)


「尚」の字の後で改行し「皇運…」が行頭となっているのは、平出の書式。特定の語(ここでは「皇」の字)に対する敬意をあらわすものである。

当時おこなわれた戦利品の配布については、原田敬一『日清・日露戦争』に次のような記述がある。

日清戦争以後戦利品を国内各地に配り、戦争を記憶し、国家と軍隊への敬意を養成する装置として機能させることが始まり、日露戦争でも続けられた。宮中にも、振天府・慶安府という戦利品記念館が建設され、天皇に拝謁した軍人らの見学が続いた。民間への戦利品配布は、学校や神社、寺院、役所に積極的に行われた。


当時の政府が積極的に戦利品の配布をおこなったというのは事実であろうが、民間の側からも積極的に戦利品の下付を願い出たという側面があったことも見逃せない。アジア歴史資料センターでは、「明治三十七八年役戦利品御下附願」といった名称の申請書が数多く公開されているが、それらは民間の側の下付要請がいかに盛んであったかを示すものである。「戦利品下附願」の一例を挙げておこう。

明治三十七八年役戦利品御下附願
  愛知県額田郡岡崎町大字明大寺
         村社 六所神社
御下附申請種目
一、砲弾 貳箇
右六所神社ハ人皇三十八代斉明天皇勅願ニ依テ奥州塩竃六所大明神勧請ノ神社ナリ(中略)幸ニ目出度戦勝ノ凱歌ヲ奏セラル国運ニ遭遇スル今日之レガ紀念ノ為メ右神社境内ニ紀念碑ヲ設立シ其傍ラ前顕戦利品ヲ装飾安置致シテ永ク国家尚武ノ気象精神ヲ養成奮起シ 一ハ以テ教育思想ノ発展奨励仕度 已ニ保存方法ヲ相講ジ基金ヲ蓄積仕候間 何卒特別御詮議ヲ以テ御下附相成度連署ヲ以テ此段奉願上候也
御下附品ニ対スル費用ハ一切負担仕候
明治四十一年一月二十九日 
            アジア歴史資料センターRef.C04014335800(第41画像~)


この「下附願」は六所神社の神職と氏子総代三名の連署で、陸軍大臣寺内正毅に提出された。「御下附品」にかかわる費用はすべて当方で負担すると述べているから、非常に積極的な下付申請であったことがわかる。三津厳島神社の場合もこうした手続きを経て戦利兵器下付の運びとなったものと推察される。

【参考文献】
原田敬一『日清・日露戦争』岩波新書 2007年2月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード