「鰻酒」

森鴎外の史伝『渋江抽斎』に、弘前藩の江戸定府の医官・渋江抽斎(1805-1858)が「鰻酒」なるものを好んでいたという下記のような記述がある。

鰻を嗜んだ抽斎は、酒を飲むやうになってから、しばしば鰻酒と云ふことをした。茶碗に鰻の蒲焼を入れ、些(すこ)しのたれを注ぎ、熱酒を湛へて蓋を覆って置き、少選(しばらく)してから飲むのである。抽斎は五百(いお)を娶ってから、五百が少しの酒に堪へるので、勧めてこれを飲ませた。五百はこれを旨がって、兄栄次郎と妹婿長尾宗右衛門とに侑(すす)め、また比良野貞固に飲ませた。此等の人々は後に皆鰻酒を飲むことになった。(森鴎外『渋江抽斎』「その六十三」)


渋江抽斎を「敬慕」(『渋江抽斎』「その二」)していた鴎外であるが、「鰻酒」を試してみたかどうかは定かでない。

鰻の蒲焼は江戸ではそれなりの値段がするものであったが、静岡の浜松ではかなり廉価であったことが『渋江抽斎』「その九十九」の記述に見える。

山田屋の向ひに山喜と云ふ居酒屋がある。保は山田屋に移った初に、山喜の店に大皿に蒲焼の盛ってあるのを見て五百に「あれを買って見ませうか」と云った。
「贅沢をお言ひでない。鰻は此土地でも高からう」
と云って、五百は止めようとした。
「まあ、聞いて見ませう」と云って、保は出て行った。価を問へば、一銭に五串であった。当時浜松辺で暮しの立ち易かったことは、此に由って想見することが出来る。


渋江保(抽斎の嗣子)が浜松で鰻の蒲焼を買ったのは、鴎外の記述によると、明治8年(1875)、養殖鰻などまだ存在しない時代であった。

s0203r.jpg
森鴎外

【典拠文献】
『鴎外選集』第6巻 岩波書店 1979年4月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 雑記
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード