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『吾輩は猫である』に見える日露戦争(1)

夏目漱石の『吾輩は猫である』が雑誌「ホトトギス」に連載されたのは、明治38年(1905)の1月から翌年の8月まで。日露戦争は37年2月から38年9月までつづいたから、『猫』はこの戦争と同時期の作品ということになる。社会風刺的な要素もあるこの作品、同時代の日露戦争についても幾たびかの言及がなされている。以下、その言及箇所を列挙し、若干のコメントを付すことにしよう。

①達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画だらうなどと気の知れぬことをいって済して居るのでもわかる。(第二回・明治38年2月)

②寒月君はもう善い加減な時分だろ思ったものか「どうも好い天気ですな。御閑なら御一所に散歩でもしませうか。旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促して見る。主人は旅順の陥落より女連の身元を聞きたいと云ふ顔で、しばらく考へ込んで居たが漸く決心したものと見えて「それぢゃ出ると仕様」と思ひ切って立つ。(同上)

③いつの間にか迷亭先生の手紙が来て居る。(中略)
「廿世紀の今日交通の頻繁、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬(ローマ)人に倣って此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致し候事と自信致候。(同上)

④それから猶読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦をして御国の為に働らいて居るのに節季師走でもお正月の様に気楽に遊んで居ると書いてある。―僕はこれでも母の思ってる様に遊んぢゃ居ないやね―其あとへ以て来て、僕の小学校時代の朋友で今度の戦争に出て死んだり負傷したものゝ名前が列挙してあるのさ。其名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気なくなって人間もつまらないと云ふ気が起ったよ。(同上)

⑤二三日は事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃又迷亭先生は例の如く空々として偶然童子の如く舞ひ込んで来た。座に着くと、いきなり「君、越智東風の高輪事件を聞いたかい」と旅順陥落の号外を知らせに来た程の勢を示す。(第三回・明治38年4月)

⑥「さうさ、到底日露戦争時代のものではないな。陣笠に立葵の紋の付いたぶっ割き羽織でも着なくちゃ納まりの付かない紐だ。(中略)」と迷亭の文句は不相変(あいかわらず)長い。(同上)


①に「熊の画」とあるのは、当時、ロシアが熊に喩えられていたことを踏まえたものである。②⑤に旅順陥落についての言及。旅順のロシア軍が降伏したのは明治38年(1905)1月であった。『猫』第二回掲載の時点では、奉天会戦(同年3月)も日本海海戦(同年5月)もおこなわれていないが、③には「吾人戦勝国の国民」の文言が見える。(次回につづく)

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【典拠文献】
『漱石全集』第1巻 岩波書店 1993年12月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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