「ヒョウ」-日本への渡来

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文禄4年(1595)4月、吉川広家が朝鮮より秀吉に豹を送る。生品か皮かは不明。

慶長16年(1611)8月24日、細川忠興、シャム(タイ)の象牙、孔雀、豹を幕府に献上。

文政10年(1827)12月、朝鮮より対馬を経て、豹の子(虎の子と称した)牝二匹が長崎にもたらされた。前年、朝鮮で捕らえたものを対馬の商人が買い取ってきたもので、対馬藩は幕府に献上しようとしたが、幕府はその申し出を断わった。朝鮮での買取値は10両、大坂商人にそれを70両で売った。豹は見世物に回され、小紙に包んだその毛が「狐狸一切獣の難を除(よける)のまじなひ」とされ、12文で売られた。

天保11年(1830)4月8日、名古屋大須の清寿院で豹の見世物。名古屋の前には京都、大坂などで興行したらしい。6月には伊勢に行ったが、7月に伊勢松阪で飼育人に噛みつき殺された。

万延元年(1860)5月下旬、豹、渡来。オランダから2500ドルで購入したもの。7月11日、吹上で将軍が見る。7月下旬より両国橋西詰で見世物となる。生後9カ月の子で、体長4尺余、尾は3尺だったらしい。

文久2年(1862)春、大坂難波新地で豹の見世物。万延元年7月に江戸両国橋西詰で興行してからの足取りは不明。

江戸時代の日本人は虎がオスで、豹はそのメスと思っていたともいう。

〔画像は愛媛県立とべ動物園〕

【参考文献】
磯野直秀『日本博物誌年表』平凡社 2002年6月
川添裕「舶来動物と見世物」(中澤克昭編『人と動物の日本紙2 歴史のなかの動物たち』吉川弘文館 2009年1月)

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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