道後温泉の起源譚-「玉の石」伝説

道後温泉の起源譚。『伊予国風土記』逸文は、大穴持命(おおあなもちのみこと=大国主命)と少彦名命(すくなひこなのみこと)による次のような起源神話を伝えている。

伊予の国の風土記に曰く、湯の郡。大穴持命(おほあなもちのみこと)、見て悔い恥ぢて、宿奈毘古那命(すくなひこなのみこと)を活(い)かさまく欲(おもほ)して、大分(おほきた)の速水(はやみ)の湯を、下樋(したび)より持ち度(わた)り来て、宿奈毘古奈命を漬(ひた)し浴(あむ)ししかば、蹔(しまし)が間(ほど)に活起(いきかへ)りましまして、居然(おだひ)しく詠(ながめごと)して、真蹔(ましまし)、寝(い)ねつるかもと曰(の)りたまひて、践(ふ)み健(たけ)びましし跡処(あとどころ)、今も湯の中の石の上にあり。凡(すべ)て、湯の貴(たふと)く奇(くす)しきことは、神世の時のみにはあらず、今の世に疹痾(やまひ)に染(し)める万生(ひとびと)、病を除(い)やし、身を存(たも)つ要薬(くすり)と為(な)せり。

伊予国風土記に言うことには、湯の郡。大穴持命は見て後悔し、恥じて、少彦名命を生き返らせたくお思いになって、九州大分の速水の湯を地下の水道によって、伊予まで通し、少彦名命をその湯に浸し浴させなさったところ、しばらくして蘇生し、ゆるやかに長く声をひいて「しばらくの間、寝ていたことよ」とおっしゃって、元気よく地面をお踏みになったその足跡が、今も湯の中の石の上に残っている。そもそも、この伊予の湯の霊妙不可思議なことは、神代だけでなく、今の世の病に苦しんでいる人々も、その病を癒し、命をたもつ薬としているのである。


息絶えた少彦名命を蘇生させるために、大穴持命が九州大分の速水の湯から引いて来たのが伊予の道後の湯であったという。神もよみがえるほどの霊力ある温泉、人の病も当然、癒すことができるというのがこの起源神話の趣旨である。道後温泉本館北側には、蘇生した少彦名命がその上に立ち上がったという「玉の石」がある。本館建造(明治27年)以前よりあったもので、明治初年版行の『愛媛面影』にもこの「玉の石」の姿が描かれている。

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道後温泉本館北側にある「玉の石」。傍らには「伊豫の湯の汀(みぎわ)にたてる霊(たま)の石 これぞ神代(かみよ)のしるし成(なり)ける」の古歌が彫られた石柱がある。

【典拠文献・参考文献】
秋本吉郎校注『日本古典文学大系2 風土記』岩波書店 1958年4月
『愛媛文学手鏡』愛媛文学叢書刊行会(代表和田茂樹) 1987年4月
松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市役所 1994年4月

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テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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