ターナー島(四十島)

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ターナー島、背後に見えるのは興居島(ごごしま)

「ターナー島」は正式名称四十島、高浜沖に浮かぶ周囲130mほどの無人島である。「ターナー島」と呼ばれるのは夏目漱石『坊っちゃん』の下記のような記述にもとづいている。

向側を見ると青嶋が浮いてゐる。是は人の住まない島ださうだ。よく見ると石と松ばかりだ。成程石と松ばかりぢゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していゝ景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いゝ心持には相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見給へ、幹が真直(まっすぐ)で、上が傘の様に開いてターナーの画にありさうだね」と赤シャツが野だに云ふと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。(中略)すると野だがどうです教頭、是からあの島をターナー島と名づけ様ぢゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々は是からさう云はうと賛成した。此吾々のうちにおれもなら迷惑だ。おれには青嶋で沢山だ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いゝ画が出来ますぜと野だが云ふと、マドンナの話はよさうぢゃないかホヽヽヽと赤シャツが気味の悪るい笑ひ方をした。(夏目漱石『坊っちゃん』五)


ターナー(1775-1851)はイギリスの風景画家。漱石はロンドン留学中にテムズ河畔のミルバンクにあるテイト・ギャラリーでターナーの作品を見ているらしい。今ではこの「ターナー島」の名称が定着した四十島であるが、少し前までは同じ『坊っちゃん』の記述にもとづいて、「マドンナの島」とも呼ばれていたようで、1983年刊の近藤英雄『坊っちゃん秘話』には次のようにある。

四十島とよぶのが本当の名で、野だがどう名づけようとも「ターナーの島」だのよんだ人はなく、「マドンナの島」として親しまれている。小説には「青島」とあるが、実際の青島は四十キロも西南にありこの名もでたらめである。


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蛭子神社(高浜町1丁目)の子規句碑

正岡子規には「初汐や松に浪こす四十島」の句(明治25年)がある。四十島といえば松、『坊っちゃん』には「石と松ばかり」とあるが、実際、四十島は松の生えた岩という感じの島である。以下に引用する高浜虚子『子規居士と余』の「海中に松の生えた岩が……」というのはこの四十島のことであろう。同書の記述によると、子規はこの島に上陸したことがあったようである。

こういう事もあった。
海中に松の生えた岩が突出して居る。
「おい上ろう。上ろう。」と新海非風君が言う。
「上ろう。テレペンが沢山あるよ。」と言ったのが子規居士である。舟が揺れて居る。二人の上ったあとの舟中に取り残されたのは碧梧桐君と余とであった。間もなく碧梧桐君もその岩に掻き上ってしまって最後には余一人取り残された。
非風君はその頃肺を病んでいた。たしかこの時であったと思う、非風君がかっと吐くと鮮かな赤い血の網のようにからまった痰が波の上に浮いたのは。
「おいおい少し大事にしないといけないよ。」と子規居士は注意するように言った。
「ハハハハ」と非風君は悲痛なような声を出して笑い、「おい升さん(子規居士の通称)泳ごうや。」
「乱暴しちゃいけないよ。」子規居士は重ねて言う。
「かまうものか。血位が何ぞな。どうせ死ぬのじゃがな。」と非風君は言う。(高浜虚子『子規居士と余』二)


この島の松はマツクイムシの被害で枯れていたが、市民有志の植樹により再生した。2007年2月、四十島は名勝地として、国の登録記念物となった。

【典拠文献・参考文献】
近藤英雄『坊っちゃん秘話』青葉図書 1983年11月
『漱石全集』第2巻 岩波書店 1994年1月
高浜虚子『回想 子規・漱石』岩波文庫 2002年8月
江藤淳『決定版 夏目漱石』新潮文庫 2006年3月

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テーマ : 雑記
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