三津の花街

大正12年(1923)発行の『みつが浜』(栗本諒二・三津浜商工会)に、当時の三津の花街を紹介する次のような記述がある。

三津浜は三百年の古い歴史をもった町であって、殊に港として発達したところであるから、船によって来る客の旅情を慰むべく花柳界は古くから盛んに賑はってゐる。往昔は十軒茶屋と称して現今の住吉町の上手、住吉橋の附近から堀川橋の通りにかけて赤暖簾に角行灯の花柳気分を見せたものであるが、伊予鉄道が開通して三津停車場が住吉橋の橋向ふに設けられ、住吉町筋は次第に発展して往来が頻繁になったので、自然に夜を昼とする芸妓屋や料理屋は横町に移るようになった。
芸妓 十軒茶屋時代からあった芸妓は文明の進歩に伴ふ社交界の必要物として益々需用が旺盛となり、漸次その数を増して高橋検番と三津検番の二つがそれぞれ所属の料理屋と共に、相競走するといふ有様であったから料理屋の数も次第に殖へて、今では明月(広町)菊川(通町)由良之助(住吉町)大島屋(新町)など四十一軒の料亭が住吉町、柳町、桂町附近に軒を並べるといふ殷賑さで、芸妓の数も常に七十を下らず、弦歌の響きに花街気分を唆り立てゝゐる。そして高橋検番と三津検番とが合同して一つになってからは、内部に競走がないだけ外に向って発展することになり、不景気知らずの繁昌を呈してゐる。
三津浜は松山、道後といふやうな遊びの本場を控へてゐるので、従って芸妓の粒もよく、相当芸のある妓もあれば、一見の客をもそらさず面白う遊ばせる妓も尠なくない。今年の春、海南新聞社が県下の百美人投票を募集した時、第二等に当選した美妓鹿の子の如きもあれば、松葉、八千代、鈴子、都、貞次と云ふ美しい面白い妓もゐる。


「検番」というのは芸妓の斡旋や料金などに関する事務をおこなうところ。当時の三津は「四十一軒の料亭」「芸妓の数も常に七十を下らず」、時代の違いを感じないわけにはいかない。

【典拠文献】
三津浜商工会(栗本諒二)『みつが浜』1923年

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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