「松葉関」

なぐさみや花はなけれど松葉関


子規、明治29年(1896)の句。前書には「郷里の風俗におなぐさみといふことあり。春暖のころにもなればささえ重箱など携へて親族友だちさそひ合せ石手川の堤吉敷の土手其他思ひ思ひの処に遊び女子供は鬼事摘草に興を尽し老いたるは酒のみながら鬼事にかけまはる女子供をみてうちゑむめり」とある。本年3月4日のブログ記事で、この句の「松葉関」がどこに当たるのか不明と述べたが、高浜虚子『子規句解』、鶴村松一『松山文学案内』、和田茂樹『人間子規』にそれぞれ次のような言及があった。

松葉関といふのは石手川の上流にある岩石の間に水は淵をなしそれから急湍をなしてをる処である。もう一層上流に上ると湧ケ淵と称する処がある。その湧ケ淵といふ処は名の示すが如く大分に大きな淵であるが、松葉関はそれに較べると女性的ともいふべき景色のいゝ所である。そこへ松山の子女達がお弁当を持っておなぐさみに出かけたものである。今はさういふこともなからう。(高浜虚子『子規句解』)


松葉関は、元室町ゴミ焼却場付近の用水関のことで、戦前には松山で一番高かったゴミ焼却場のエントツ(高さ五五m)も、市の坪への移転で取りのけられてしまい、その昔、少年たちがいたずらに石を投げ合って遊んでいたこともすでに忘れられつつある。(鶴村松一『松山文学案内』)


松葉関は石手寺門前遍路橋の下流にあって石手川の分流があったと伝える地。(和田茂樹『人間子規』)


三者それぞれ見解を異にしている。虚子が言っているのは岩堰のことであろうか(虚子のいう「石手川の上流にある岩石の間に水は淵をなし」は赤橋付近、「急湍をなしてをる処」はその少し上流の岩堰橋〈国道317号線〉付近を指すものか)。石手川のどこかが松葉関であるのは間違いないのだが、今のところは上記三説があるとしかいいようがない。

【典拠文献・参考文献】
高浜虚子『子規句解』(松山市民双書21)松山市教育委員会 1979年3月
鶴村松一『松山文学案内』青葉図書 1982年4月
和田茂樹『人間子規』関奉仕財団 1998年6月

▼ 赤橋付近
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▼ 岩堰橋(国道317号線)付近
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