濱本利三郎『日清戦争従軍秘録』

夏目漱石が松山中学の教師をつとめていたころ、同僚であった人物に濱本利三郎(徳島出身)という体操の教師がいた。濱本は明治26年8月に松山中学に赴任。27年7月、日清戦争に軍曹として従軍。28年9月、同中学復職。29年3月、高知に転任した。漱石が松山中学にいたのは28年4月から1年間だから、濱本が漱石と教員室を共にしたのは、28年9月から約7か月間ということになる。

『日清戦争従軍秘録』はこの濱本利三郎が書いた従軍記である。以下、同書の記述の一部を引く。

元山四、五里の間には河の流れもない。水といえば不完全な井戸が一ケ村に一つぐらいであるから飲料水にはすこぶる欠乏した。はじめは全身汗をもってひたしたが、水をのまざるため発汗は止み、次第に黄色の脂が全身より湧きだすのだ。

千三百余名のわが軍隊は敵のため斃れずしていまや焦熱地獄の責苦の下で埋没せんとする。

赤痢患者はますます数を加え(中略)交代兵にもことかくありさま。


以上は27年夏、以下は同年の冬の記録。

兵糧は一俵もこない。補充のつかぬのは防寒衣である。遂に木綿を徴発し、襦袢、袴下を縫いて着込み、寒さを凌いだ。

凍傷にかからぬ者は、実に十人中、二、三人であった。

凍傷患者の全治に至るまでは多くの日数を要し、重傷者は、膝部より切断された。


夏の暑さや冬の寒さによる病気という戦争以前の段階で相当の犠牲者を出しているようである。日清戦争が「疾病との戦争」ともいわれるのはこうした事実を指すのであろう。この戦争での日本軍の死者の7割は実に病死であったという。

濱本利三郎の『日清戦争従軍秘録』は娘の地主愛子の編で出版された。彼女は父の秘録に次のような思い出話を添えて、同書を出版している。

母に松山時代の父のことを、いつかたずねたとき母は、「お父さんは戦地から帰られてから、長い間、毎夜夢でうなされていました。突貫ッ!突貫ッ!って夜中に大きな声で叫んでとび起き、みんなおどろいて、眼がさめると、「あ、夢だったのか!」と、ホッとしたように又横になりました。よほどひどい目におあいしたことでしょう。よくおっしゃっていましたよ。戦争は、私一人の経験でたくさんだ。かわいい息子たちに、あんな体験はぜったいさせてはならん。百害あって一利なし、とは戦争のことだ、とね」


【典拠文献・参考文献】
濱本利三郎著・地主愛子編『日清戦争従軍秘録』青春出版社 1972年11月
佐藤信・五味文彦・高埜利彦・鳥海靖編『改訂版 詳説日本史研究』山川出版社 2008年8月
小松裕『日本の歴史十四 「いのち」と帝国日本』小学館 2009年1月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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