夏目漱石、松山を去る

夏目漱石が1年間の在松生活を終えて、当地を離れたのは、明治29年(1896)4月11日、115年前の今日である。この日、三津浜港で漱石の出立を見送った村上霽月は、その模様を次のように書き記している。

熊本へ立つ時も鬱金木綿の袋に入れた大弓は自ら携へて汽船に乗るのを見送ったことを記憶する。(村上霽月「漱石君を偲ぶ」)


熊本へ転じて行く時、予は何処かへ一寸出違って居ったので、当時在松中の虚子君へ托して贈られた短冊に、
逢はで去る花に涙を濺げかし 愚陀仏
とあったが、予は其出発の日に帰って来て、直に三津浜へ車を走せて、久保田回漕店で君に逢ふことが出来た。其時見送りに出て居たのは、当時の松山中学校長横地氏と、上野の孫娘になる十二三歳の女の子と、虚子君とであった。虚子君は上京するので広島か厳島まで一緒に行くといふ。予も一緒に厳島へでも行きたくてたまらなかったから、両君を送るといふので、
春風や羨君東西南北客
と呻吟した。夫(そ)れは二十九年の春かと思ふ。(村上霽月「同上」)


虚子は東都へ 漱石は筑紫へ 明日立つといふに
二人まで友を送りて行春や 霽月
四月十一日朝つとに起き車をはせて三津に二子を訪ふ 横地氏外一両人あり 句を以て餞す
送漱石
春風や羨ム君東西南北の人 霽月
送虚子
春風や羨ム東西南北の客 同
同一の句を以て二子を送る 其我感情のひとしきを以て也 九時舟二子をのせて去る (村上霽月「逍遥反古」)


当日、漱石を見送った「横地氏」というのは横地石太郎。1年前、漱石の松山中学着任時には同校の教頭であったが、この時点では校長に昇進している。「上野の孫娘になる十二三歳の女の子」は宮本より江(のち久保より江)。漱石が下宿した愚陀仏庵の家主、上野義方の孫である。4月11日午前9時、三津浜港を発つ船には高浜虚子も同乗した。二人は安芸の宮島に寄り道をしたあと、漱石は新任地熊本へ、虚子は東京へと、それぞれ旅立った。

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【典拠文献・参考文献】
霽月村上半太郎翁生誕百年祭実行委員会『霽月句文集』 1978年11月
和田茂樹『子規の素顔』愛媛県文化振興財団 1998年3月

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