子規、ひな祭りの思い出

子規3歳のとき、湊町4丁目の自宅が失火のために全焼したが、ひな祭りの人形は焼け残ったという。子どものころの子規はひな祭りが好きだった。ひな祭りと七夕は「一年のうちにてもっとも楽しく嬉しき遊び」(正岡子規「吾幼時の美感」)であったと言っている。正岡家のひな祭りは、「内裏雛一対、紙雛一対、見にくゝ大きなる婢子様(ほうこさま)一つを赤き毛氈の上に飾りて三日を祝ふ」(同)程度だったから、至って質素なものであったが、幼年の子規にとっては心躍るものであったのだろう。「昔より女らしき遊びを好みたるなり」(同)とは幼時をふりかえっての子規の述懐である。

松山地方のひな祭りはひと月遅れの4月3日におこなわれる。翌4日は重詰弁当を持って郊外に赴き、一日飲食して楽しむのが当地方の昔からの慣習であった(この行楽は「おなぐさみ」と呼ばれていた)。

雛あらば娘あらばと思ひけり  子規(明治30年)



【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第3巻(俳句3)講談社 1977年11月
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月

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テーマ : 雑記
ジャンル : 学問・文化・芸術

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