漱石「蔵沢の竹を得てより露の庵」

明治43年(1910)11月、夏目漱石のもとに森円月(松山出身)から蔵沢(藩政時代の松山の画人)描くところの墨竹画軸が送られて来た。蔵沢の画は漱石かねてよりの念願の品。感激した漱石は「仮眠も急に醒め拍手踴躍致居(いたしおり)候」と礼状(同5日)を書き、12日には「蔵沢の竹を得てより露の庵 漱石」の短冊をしたためて、円月に贈った。漱石の妻、鏡子の回想記によると、漱石は蔵沢の画を珍重し、ひところはそれを手本に墨竹ばかりをむやみに描いていたという。

良寛の外に好きで集めたものに、といって三四点づゝのものですが、それに伊予の明月上人と蔵沢がございます。二つとも松山出身の森円月さんがもって来られて、夏目に字を書かせてお礼に寄せられたのが元で、自分でも所望して手に入れたやうでした。殊に蔵沢の墨竹は大変珍重しまして、自分でもそれを手本に竹を描くといふので、毛氈の上に紙をひろげて、尻をはし折って一気に墨痕淋漓と勢ひよく描き上げようといふので大騒動でした。尤もこれは大病のなほったたしか翌年頃だったと思ひますが、この蔵沢張りの墨竹をやたらに描いた時代がございます。(夏目鏡子『漱石の思ひ出』)


上に出る「明月上人」というのは江戸中期の松山円光寺住職で、能書家として知られた人物。小説『坊っちゃん』では松山の悪口をさんざん書いた漱石であったが、明月の書や蔵沢の墨竹を鍾愛、松山の文化遺産をこころから敬重していたのである。

s0196r.jpg

DSCF9208_convert_20141203115403.jpg

【典拠文献】
『漱石全集』第23巻 岩波書店 1996年9月
夏目鏡子『漱石の思ひ出』(改版)岩波書店 2003年10月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード