「鬼は内~」

摂津三田(現・兵庫県三田市)の領主、九鬼家の節分儀式では、豆撒きの際に「鬼は内~」と唱えるということが松浦静山の『甲子夜話』に出ている。

先年のことなり。御城にて、予、九鬼和泉守隆国に問には、世に云ふ、貴家にては節分の夜、主人闇室に坐せば、鬼形の賓来りて対座す。小石を水に入れ、吸物に出すに、鑿々として音あり、人目には見えずと。このことありやと云しに、答に、拙家曾て件のことなし。節分の夜は、主人恵方に向ひ坐に就ば、歳男豆を持出、尋常の如くうつなり。但世と異なるは、其唱を「鬼は内、福は内、富は内」といふ。(松浦静山『甲子夜話』二)


節分の夜、九鬼家には鬼の姿をした客が来て、小石の入った吸い物を飲むという噂があった。好奇心のつよい平戸城主松浦静山はそのことを直接、九鬼家の当主隆国に尋ねたのだが、隆国はその噂を否定、ただ他家と異なっているのは、豆撒きの際に「鬼は内~」と唱えることだと答えた。

「鬼は内~」と唱えるのは、九鬼家代々の伝統であったようだが、民俗学者の五来重によると、豆撒きのときにそう唱える例は、少なくないという。

世の中には鬼の子孫という家筋はかなり多くあって、「鬼は内、福は内」という豆撒きをする家もすくなくない。鬼の子孫という伝承をのちのちまでもちつたえた家筋は、多く修験山伏の家筋であるが、祖霊を鬼として表象することは、実は一般的であった。それが仏教や陰陽道の影響で邪悪な鬼となり、地獄の牛頭馬頭や餓鬼となってからは「鬼は外」と追われる鬼になった。(五来重『宗教歳時記』)


九鬼隆国は鬼の姿をした客云々の噂を否定したが、九鬼家の豆撒きの唱えごとが「鬼は内~」であるということは、鬼の子孫であるとの伝承が同家にあるということをおのずから語るものであった。鬼の姿云々はそうした九鬼家の伝承から派生した噂であったのだろう。

【参考文献】
五来重『宗教歳時記』角川選書 1982年4月

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テーマ : 歴史雑学
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