子規、堀之内の梟の句

梟(ふくろう)や聞耳立つる三千騎


子規、明治22年(1889)の句。前書きには「松山堀ノ内」とある。堀之内(城山の南西部)は松山城の三ノ丸だったところで、廃藩置県後は陸軍の屯所がおかれ、明治17年には歩兵第二十二連隊の用地となった。句の「梟」は冬の季語。梟は留鳥であるが、鳴き声の悽愴な感から、俳句では冬に配当される。「三千騎」は第二十二連隊の兵たちをいうものであろうか。子規は『病牀六尺』の二十五回(明治35年6月6日)で、その梟の鳴き声について詳述している。一部を下に引いておこう。

わが郷里松山では、梟が「フルツク、ホーソ」となけば雨が降る「ノリツケ、ホーソ」と鳴けば明日の天気は晴であるといふ天気予報に見られて居る。さうして梟の事をば俗にフルツクといふ。(中略)梟は元来何時の時候をよく鳴くものであるか、余の経験によると、上野の森では毎年春の末より秋の半ばにかけて必ず梟が鳴く、これは余が根岸に来て以来経験する所であるが、夏の夕方、雉子町を出でて、わが家への帰るさ、月が涼しく照して気持のよい風に吹かれながら上野の森をやって来ると、音楽学校の後ろあたりへ来た時に必ずそのフルツクホーソの声を聞くことであった。(中略)病に寝て後ちもやはり例の鳴声は根岸まで聞えるので、この頃でも病床で毎晩聞いて居る。


上引の記述によれば、松山では梟のことを「フルツク」といっていたようであるが、今はこの方言も消えてしまっている。

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堀之内の「歩兵第二十二聯隊跡」碑

【典拠文献】
『子規全集』第1巻(俳句1)講談社 1975年12月
『子規全集』第11巻(随筆1)講談社 1975年4月
和田茂樹『子規の素顔』愛媛県文化振興財団 1998年3月

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