夏目金之助、「漱石」と号す

明治22年(1889)5月1日、創作文集『七草集』を書き上げた正岡子規(当時学生)は、その自筆原本を師友たちの回覧に供して、末尾の白紙部分に批評を書き入れるよう求めた。同本には「千舟居士」の名で河東静渓、「江田島守」の名で秋山真之など20名近くが批評を書き入れているが、そのなかには「漱石」と署名した夏目金之助の批評(日付は5月25日)もある。夏目金之助が「漱石」を名のったのは、どうもこのときが最初であったらしい。漱石は漢文での批評に漢詩を添え、この雅号で署名して『七草集』を子規に返却したのだが、その後で「漱石」の「漱」の字を間違って書いたのではないかと不安に思い、同月27日付の子規宛の手紙でそのことにふれる。

七草集にはさすがの某も実名を曝すは恐レビデゲスと少しく通がりて当座の間に合せに漱石となんしたり顔に認(したた)め侍り 後にて考ふれば漱石とは書かで〓石と書きしやうに覚へ候 この段御含みの上御正し被下(くだされ)たく先(まず)はそのため口上左様 米山大愚先生傍(かたわら)より自己の名さへ書けぬに人の文を評するとはテモ恐シイ頓馬ダナーチョン々々々々々(〓は「漱」の字の「欠」の部分が「攵」)


『七草集』の原本は現存する。夏目漱石の署名の部分を見ると、ちゃんと「漱石」となっているそうである。「〓石」と書いたと思ったのは彼の杞憂であった。ところが、おかしなことに正岡子規のほうがのちに「〓石」と書いたりしている(子規自筆稿「発句経譬喩品」に「〓石君」とあるなど)。「〓」は「漱」の異体字だから、間違いとまではいえないのだが、誤字を書いてしまうことは人間だれしも免れない。漱石も『坊っちゃん』の自筆原稿では、「畜生」を「蓄生」、「専門」を「専問」、「娯楽」を「誤楽」などと書き誤っている。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第9巻(初期文集)講談社 1977年9月
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月
奥本大三郎「漱石という雅号」(岩波書店刊『漱石全集』第13巻「月報」13 1995年2月)
和田茂樹編『漱石・子規往復書簡集』岩波文庫 2002年10月
『直筆で読む「坊っちゃん」』集英社新書ヴィジュアル版 2007年10月

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テーマ : 歴史上の人物
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