松山中学跡記念碑

CIMG2405_convert_20110412145955.jpg
松山中学跡記念碑

夏目漱石が明治28年(1895)4月から1年間在職した松山中学は、現在の一番町4丁目、NTT西日本のビルが建っているところにあった。同ビルの西側には松山中学の所在地であったことを示す次のように記した碑がある。

漱石ゆかりの松山中学跡
夏目漱石は、明治二十八年、ここで
英語を教えました。名作「坊っちゃん」は、松山中学校
を舞台にして書かれました。
四国電電ビル新築にあたり、
往時校庭にそびえていたユーカリの
一樹をそえて記念碑を建立します。

松山を去るに際し
わかるゝや一鳥啼て雲に入る 漱石

昭和三十七年十月二十三日
 日本電信電話公社
 四国電気通信局


漱石は松山では当初、三番町の城戸屋旅館に宿泊、ほどなく一番町の愛松亭を下宿先とし、6月からは二番町の上野義方邸の離れ(愚陀仏庵)を住まいとした。いずれも松山中学からは目と鼻の距離で、通勤には時間を要しない。しかも漱石は宿直など校内の雑務を免除され、午後3時には退出することが許されていたから、在松の1年間は時間的なゆとりのある生活をおくることができた。

「わかるゝや一鳥啼て雲に入る」―松山中学跡の記念碑に記されたこの漱石の句は、松風会員の漢学者近藤我観に惜別の句としておくったもの。我観には同時に「永き日やあくびうつして分れゆく」の句もおくっている。漱石が新任地熊本に向かうべく、松山を発ったのは明治29年4月11日の朝、村上霽月、横地石太郎、宮本より江(上野義方の孫)らに見送られての三津浜港からの旅立ちであった。

【参考文献】
和田茂樹編『子規と周辺の人々』(増補版)愛媛文化双書刊行会 1993年9月
和田茂樹『子規の素顔』愛媛県文化振興財団 1998年3月

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村



テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード