松山中学の数え唄

夏目漱石が松山中学に在職していたころ、同校には教師らをからかう次のような数え唄があったという。

一つとやー 一つ弘中シッポクさん(数学・英語)弘中又一
二つとやー 二つふくれた豚の腹(英語)西川忠太郎
三つとやー 三つみにくい太田さん(漢文)太田厚
四つとやー 四つ横地のゴートひげ(物理・化学)横地石太郎
五つとやー 五つ色男、中村さん(歴史)中村宗太郎
六つとやー 六つ無理いう伊藤さん(体操)伊藤朔七郎
七つとやー 七つ夏目の鬼瓦(英語)夏目金之助
八つとやー 八つやかしの本吾さん(生物)安芸本吾
九つとやー 九つコットリ一寸坊(地理)中堀貞五郎
十とやー 十でとりこむ寒川さん(会計)寒川朝陽


筆頭の弘中又一(山口県出身)は『坊っちゃん』の主人公のモデルであるともいわれる名物教師。シッポクさんの呼称は魚ノ棚の亀屋でしっぽくうどんを四杯食べたという本人も認めている事実に由来する。松山中学在職時代の漱石はこの弘中と親しく、校内での出来事や失敗などを語り合っては二人で笑い興じていたという。弘中のしっぽくうどん四杯の件は『坊っちゃん』では主人公の天麩羅蕎麦四杯として出る(当ブログ2010年12月10日記事参照)。
四の横地石太郎(石川県出身)は松山中学の教頭。『坊っちゃん』に出る赤シャツ教頭のモデルであるともいわれるが、本人はこれが心外だったらしい。弘中又一の記憶では実際に赤シャツを着ていたという(弘中の表現では「目だたぬ暗赤色」)。のちに漱石と結婚する中根鏡子はこの横地の妻と従姉妹であった。
五の中村宗太郎(石川県出身)も弘中の記憶ではやや派手な色の赤シャツを着ていた(当時は健康によいという風説があって赤シャツを着るのが流行していた)。その行状からすると、この中村のほうが『坊っちゃん』に出る赤シャツ教頭に近いともいわれる。
六の伊藤朔七郎(愛媛県出身)は時代劇の映画監督伊藤大輔の父親である。
七の夏目金之助が漱石であることはいうまでもない。鬼瓦の呼称は漱石の顔にのこっていた痘痕をいうものであろう。
九の中堀貞五郎(愛媛県出身)は正岡子規の妹、律の二度目の結婚相手であった。肩を左右にゆらしてコットリコットリと歩くのでコットリさんと呼ばれたという(当ブログ2010年12月8日記事参照)
十の寒川朝陽(愛媛県出身)は寒川鼠骨(子規門下)の父親である。
この数え唄には登場しないが、松山中学には渡部政和(愛媛県出身)という数学の名物教師がいた。生徒の信望が厚く、口のわるい生徒もこの先生だけにはあだ名をつけることができなかったといわれるから、数え唄にも登場しないのであろう。『坊っちゃん』に出る山嵐のモデルはこの渡部政和であるというのがもっぱらの噂であった。のちに戦争小説『肉弾』を書いて有名になる桜井忠温(ただよし)はこの渡部先生にいつも零点をつけられていたという話も残っている。

【典拠文献・参考文献】
近藤英雄『坊っちゃん秘話』青葉図書 1983年11月
『水野広徳著作集』第8巻(自伝・年譜)雄山閣出版 1995年7月
池田洋三『新版 わすれかけの街 松山戦前戦後』愛媛新聞社 2002年6月
秦郁彦『漱石文学のモデルたち』講談社 2004年12月
松原伸夫『「坊っちゃん」先生 弘中又一』文芸社 2010年8月

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テーマ : 雑記
ジャンル : 学問・文化・芸術

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