『坊っちゃん』のバッタ事件

夏目漱石の小説『坊っちゃん』にバッタ事件と呼ばれる挿話がある。宿直を仰せつかった坊っちゃん先生が寝ようとすると、蒲団の中にバッタが数十匹……寄宿生たちのいたずらであったというもので、小説の本文には次のようにある。

何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤の様でもないからこいつあと驚いて、足を二三度毛布(けっと)の中で振って見た。するとざらざらと当ったものが、急に殖え出して脛が五六ケ所、股が二三ケ所、尻の下でぐちゃりと踏み潰したのが一つ、臍の所迄飛び上がったのが一つ―愈(いよいよ)驚いた。早速起き上って、毛布をぱっと後ろへ抛ると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。(中略)漸くの事に三十分許(ばかり)でバッタは退治た。箒を持って来てバッタの死骸を掃き出した。小使が来て何ですかと云ふから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼っとく奴がどこの国にある。間抜(まぬけ)め。と叱ったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を縁側へ抛り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。
おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だらうが十人だらうが構ふものか。寝巻の侭(まま)腕まくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先の一人がいった。やに落ち付いて居やがる。此学校ぢゃ校長ばかりぢゃない、生徒迄曲りくねった言葉を使ふんだらう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやらう」と云ったが、生憎(あいにく)掃き出して仕舞って一匹も居ない。又小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜(はきだめ)へ棄ててしまひましたが、拾って参りませうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云ふと小使は急いで馳け出したが、やがて半紙の上へ十匹許り載せて来て「どうも御気の毒ですが、生憎夜で是丈(これだけ)しか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云ふ。小使迄馬鹿だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタた是れだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云ふと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣(や)り込めた。「篦棒(べらぼう)め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まへてなもした何だ。菜飯(なめし)は田楽(でんがく)の時より外に食ふもんぢゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違ふぞな、もし」と云った。いつ迄行ってもなもしを使ふ奴だ。 (『坊っちゃん』四)


近藤英雄著『坊っちゃん秘話』によると、漱石が赴任していた松山中学ではこれに似た出来事が実際にあったらしい。同書は漱石の同僚教師であった中堀貞五郎の宿直中にこの事件が起こったとして次のように述べている。

県下の遠方より来る生徒のために三四十名を収容し得る寄宿舎が、校庭の西北の隅に建てられていた。寄宿生が夏の夕食後などに、運動場の片隅で馬鹿話などをしていると大きなバッタが沢山飛んでいた。誰かがこれを舎監室の床に入れてやろうやといったら、皆手をうって賛成賛成といった。
或晩に舎監室の寝床に入れた。その晩は地理、理科の一字一句もおろそかにしない綿密先生といわれる中堀貞五郎が宿直であった。背が短くて歩く時に肩を左右に一寸坊が歩くようにコットリコットリ歩くのでコットリさんと綽名されていた。コットリさんがランプを消して蚊帳に入ったらビックリ仰天、バッタ責め、小使に寄宿生を呼びにやった。結局寄宿生の頭目らしき者四、五名が大目玉をちょうだいしたが、舎内の出来ごととして口外せず、暗やみに葬られた事件があった。


『坊っちゃん』のバッタ事件はこの一件をもとにおもしろおかしく脚色したもののようである[注]。前記書によると、イナゴ・バッタの呼称をめぐる珍妙なやりとりの部分は、次のような漱石自身の体験がもとになっているらしい。

またあるとき英語の時間に、教室で偶然にイナゴが教壇のあたりを飛んでいたので生徒が笑った。漱石はそれを見てなんだバッタかといった。お婆とあだ名されている生徒がおせっかいにも、「先生、それイナゴですゾ」といった。漱石はイナゴもバッタも同じだろうと言い返すと、「先生、バッタとイナゴは違うぞナモシ」と大まじめに説明した。


この「お婆とあだ名されている生徒」というのは松山中学明治34年卒の松本博邑である。彼はのちに神戸商船の社長となった。バッタ事件の実際の被害者、中堀貞五郎はきわめて真面目な人柄で、松山中学では地理、物理などを教えていた。教師退職後は京都で文具店を開いたが、店に不健全と思われるような雑誌は一切おかず、学生らがその種の雑誌がないかと問い合わせたりすると引きとどめて懇々とさとしたという。『坊っちゃん』に出る「うらなり君」のモデルは一説によると、この中堀であるともいう。意外な事実だが、中堀は正岡子規の妹、律の二度目の結婚相手でもあった(当ブログ2010年12月8日記事参照)


[注]-バッタを捕ってきたのは阿部新という生徒であった。上級生の命令で捕ってきたという。後年、阿部は次のように語っている。「坊っちゃんのモデルについて問うたことがありますが、先生(漱石のこと)は手を振って答えられませんでした。坊っちゃんの中のバッタ事件のバッタは私がとってきたのです。『イナゴをちょっと獲ってこい。』といって状袋の大きいのをくれました。上級生の命令だから断ったらやられるので獲ってきたのです。十五、六匹とりました。小説には五、六十匹とあり、先生にそれをただしますと、『あれは小説だから。』と笑っていられました」。

【典拠文献・参考文献】
服部嘉香「子規の母と妹」(『子規全集』第11巻「月報」1 1975年4月)
近藤英雄『坊っちゃん秘話』青葉図書 1983年11月
『漱石全集』第2巻 岩波書店 1994年1月
秦郁彦『漱石文学のモデルたち』講談社 2004年12月
松原伸夫『「坊っちゃん」先生 弘中又一』文芸社 2010年8月

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テーマ : 雑記
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