愚陀仏庵(3)-久保より江

明治28年9月、上野義方の邸に夏休みの終わった孫娘(義方の次女の娘)の宮本より江が帰って来た。より江は「色の小黒いキッと引締まって見るからに利発さうな顔」(柳原極堂『友人子規』)をした小学生。上野の離れ(愚陀仏庵)に下宿している漱石・子規とも当然、顔見知りになる。後年、より江は「照葉狂言がすきだというのでいつも連れて行って下すった。句会の末座にかしこまった夜もあった」[注]と回想しているから、漱石・子規にはかわいがられたのであろう。漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する「雪江さん」はこのより江がモデルになっているともいう。29年の春、漱石は愚陀仏庵での生活を終え、松山を去ることになった。漱石になついていたより江はその出立を三津浜港で見送っている。

より江は早くから文学に興味をもち、ホトトギス派の俳人となった。結婚して久保姓となり、福岡在住時には当地社交界の華と目される存在であったという。より江の句を一句あげておこう。

ねこに来る賀状や猫のくすしより


飼い猫のかかりつけの「くすし(医師)」より猫宛てに年賀状が来たというおかしみのある句。このユーモアのセンスは愚陀仏庵時代の漱石・子規の感化によるものだろうか。


[注]-より江は、子規については「正岡先生の方はおめし物から帽子まで覚えています。うす色のネルに白縮緬のへこ帯、ヘルメット帽」、漱石については「文学士というえらい肩書の中学校の先生が離れにいらっしゃるという事を子供心に自慢に思っていた」「一度夜二階へお邪魔をしていて、眠くなって母家へ帰ろうとしますと、廊下におばけが出るよとおどかされた」「松山を御出立の前夜湊町の向井へおともして買っていただいた呉春と応挙と常信の画譜は今でも持っております」などとも回想している。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
和田茂樹編『子規と周辺の人々』(増補版)愛媛文化双書刊行会 1993年9月
高浜虚子『回想 子規・漱石』岩波文庫 2002年8月
大岡信『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』岩波書店 2002年12月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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