獅子文六『てんやわんや』

獅子文六、昭和24年(1949)刊の小説『てんやわんや』は、作者が終戦直後の一時期、移住していた南予の岩松町(現在は宇和島市内)をイメージして書かれているといわれる(小説中では「相生町」という架空名)。獅子文六は「食」に大いに関心を寄せる作家であったようで、『てんやわんや』には南予地方の「食」(皮ちくわ・鉢盛料理)について言及した次のような文章が見出される。

「先生、それ、一口やってみんさい、日本一じゃけん……」
と、田鍋が、私に薦めたものを、竹棒のまま、横啣(よこぐわ)えにしてみると、シコシコした舌触りのうちに、なんともいえぬ、香ばしい味があった。
「なんですか、これは?」
「皮竹輪言いましてな、これほどのものは、東京にも大阪にも、滅多にござりますまいが……」
彼の説によると、エソという魚で造る南伊予のカマボコは、日本のカマボコ界の王であり、南伊予のカマボコのうちでも、相生町のカマボコが最優秀品であり、その相生町のカマボコのうちでも、エソの皮や筋で造ったこの皮竹輪は、カマボコ食いの大通人をして満足させる、日本無比の超特作的逸品である、というのである。

大きな鯛の浜焼らしきもの、カマボコや卵焼の口取りらしきもの、ウマ煮らしきもの、和え物らしきもの、巻鮨らしきもの、ウドンらしきもの―十数種に亙る食物が、同数の鉢に盛られてあるようであった。そして、どの鉢にも、盛り込んだ料理の中心に、桃の花とか、早咲きのツツジだとかが、活花のように挿してあった。それが、この地方の名物、鉢盛料理であった。


「皮ちくわ」は大量生産のできない珍味であるらしい。「鉢盛料理」の「ウドンらしきもの」というのは「鯛そうめん」のことであろう。『てんやわんや』の時代設定は終戦直後であるが、小説の舞台は戦後の食糧難とは無縁の地とされ、次のようにいわれている。

どう考えても、この土地には、戦争はなかったと、思うほかはない。あまりにもノドカな風光であり、人情である。ここでも食糧は不足してるというが、東京や大阪と、まるで程度がちがうらしい。(中略)とにかく、都会と比べて、戦争の傷痕らしいものは、どこにも見当たらない。(中略)どうやら、私は、別世界の住人になったらしい。ここは、まったく現代日本の蓬莱である。


小説中には、越智善助なる人物が饅頭30個を食べて賭けに勝ち、納めにもう1個食べてまわりを驚かすという、落語の一節のような場面もある。南予の和菓子「善助餅」というのはこれにちなんでつくられたものであろう。「食いたる餅の数五十、おまけおさめにもう一つ、てんやわんやの善助餅……」というテレビコマーシャルがあったことを覚えておいでの方もおられるのではなかろうか(コマーシャルでは、原作の饅頭30個の数が50になっている。映画版《てんやわんや》も50であるらしい)

【典拠文献・参考文献】
『現代日本文学館32 吉川英治・獅子文六』文藝春秋 1967年8月

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テーマ : 雑記
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