子規、チマチョゴリ姿の巴をスケッチする

子規の『仰臥漫録』(明治34年9月5日条)に次のような記述がある。

午前 陸妻君巴さんとおしまさんとをつれて来る。陸氏の持帰りたる朝鮮少女の服を巴さんに着せて見せんとなり。服は立派なり。日本も友禅などやめて此やうなものにしたし。
 芙蓉よりも朝顔よりもうつくしく


(ともえ)、しま子は陸羯南(くがかつなん)の娘。この日、羯南は病牀の子規を慰めるために、チマチョゴリを着用した巴を子規の家に遣わしたのである。子規はこれが嬉しかったらしく、巴の姿をスケッチして、「袴の紐白」「上の袴紫」「中の袴黄」「下の袴も黄にして短し」との説明まで添えている。

後年、巴(最上〈もがみ〉姓となる)はこのときのことを次のように回想している。

私が朝鮮服を着て子規さんのところへ行った話は、「仰臥漫録」に書かれているので匿しようがありませんが、その頃の私は、まだ小学校の一年生くらいでしたから、朝鮮服を着ることなんぞはとても嫌でした。あの朝鮮服は、明治三十四年に父が近衛(篤麿)さんに随行して大陸へ渡った時、朝鮮の親王さまからお土産に頂いて来たものです。(中略)私だと丁度よくて、三つ下の妹が着ると、少し引き摺るがどうにか着られます。それで妹が先に着せられて、近所の写真館で写真を撮ってもらって来ました。次に私が撮って来たのですが、帰ると父が「寝ているものは退屈しているから、そのままの格好で正岡へ寄って見せてこい」といいます。それで私は嫌だったんですが、仕方なく、朝鮮服を着たままで子規さんのところへ寄ったんです。そうしたら喜んで、喜んで、さんざん生地をいじったりなんかもして、「そっちへ立ってくれ」といって私を八畳の間に立たせると、自分は六畳の間の蒲団の上に起き上がり写生を始めました。(中略)帰りたくて仕方のない私に、後を向けの、前を向けのといってさんざん眺めまわして、それは大層な喜びようでした。(最上巴「写生のモデルになって……」)


羯南のちょっとした気遣いによるものだったが、病牀の子規にとっては、こうしたことがたいそうな心のよろこびとなったのである。


   [NHKドラマ《坂の上の雲》第7回放送にチマチョゴリ姿の巴らしき少女が登場する。]

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第11巻(随筆1)講談社 1975年4月
最上巴「写生のモデルになって……」(子規全集第11巻「月報1」 1975年4月)

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テーマ : 歴史上の人物
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