正岡律の夫

子規の妹、律(1870-1941)は二度結婚し、二度とも離婚しているが、その二度目の離婚は、子規の看病をするために頻繁に実家に帰ったのが原因であったかもしれないと、服部嘉香(正岡家の遠縁)が述べている。

(律は)「兄が肺病になったとは大変だ。自分は結婚したけれど、一日おきに看病のため帰してもらう」といって、多分その通りにしたらしく、後に離婚となっておるのも原因はそんなところに始まっていたのかもしれない。 (服部嘉香「子規の母と妹」)


律の二度目の結婚は明治22年(1889)の6月、相手は松山中学教師の中堀貞五郎(今治出身 1857-1947)という人であった。子規は同年の5月に東京の寄宿舎で喀血し、その年の夏季休暇を故郷での療養にあてている。律が隔日に実家に帰っていたのは、子規のその帰省中であるから、律は新婚早々にそうした行動をとったということになる。貞五郎との結婚生活は1年にも満たなかった(23年4月離婚)。

律の夫であった中堀貞五郎は、松山中学では地理、物理などを教えていた。歩くときにコットリコットリと音をたてるので、生徒からは「コットリさん」と呼ばれていたらしい。漱石の小説『坊っちゃん』に出る「うらなり」のモデルはこの中堀であるともいう(英語教師の梅本忠朴、博物学教師の石川一男なども「うらなり」のモデル候補。「うらなり」は「マドンナ」の婚約者で、気が弱く、延岡に転任となる)。

中堀の教え子の一人、水野広徳(海軍大佐・日米非戦を唱えた軍事評論家)は、中堀の次のようなエピソードを自伝の中で紹介している。

歴史、地理、物理などの八百屋的先生は中堀貞五郎という今治の人であった。殊の外(ほか)背が低くて、歩く時に体を左右に傾けながら、子供の様な小さな靴でコットリコットリ音を立てるので、「コットリさん」という仇名があった。非常に正直で、真面目で、生徒を疑うということを知らないので、試験のカンニングをやるには最も都合の好い先生であった。

地理、歴史などの受持に中堀コットリさんと呼ばれた先生があった。神様の様に正直な人で、初めは生徒が参考(注-松山中学生徒間の隠語でカンニングの意)をやろうなどとは夢にも知らず、黒板に向って試験問題を書いて居る間に、生徒は大きな教科書などを持ち出して、殆んど公然と参考をやったものである。ところが誰か先生に注意した者があったと見えて、次の試験の時には黒板に問題を半分ばかり書いた頃、突然後に向き返って生徒のデスクの間に駆け出して来たので、参考の書物を隠す暇もなく、見付けられて零点を頂戴した者もあった。


「神様のように正直な」というところが「うらなり」と目される所以であろうか。中堀貞五郎は明治21年9月から38年2月まで松山中学に勤務(漱石が同校に勤務していたのは28年4月から1年間)。その後、弓削商船学校の教師となり、大正3年末まで勤めた。教師を辞めてからは京都で文具店を営んだという。

【参考文献】
服部嘉香「子規の母と妹」(『子規全集』第11巻「月報」1 1975年4月)
『子規全集』第22巻(年譜 資料)講談社 1978年10月
『水野広徳著作集』第8巻(自伝 年譜)雄山閣出版 1995年7月
秦郁彦『漱石文学のモデルたち』講談社 2004年12月

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以下は正岡律に関する過去のブログ記事

「正岡律(子規の妹)と秋山真之」→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-298.html

「その後の正岡律」→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-462.html

「土居健子「叔父秋山真之と子規のご家族」」→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-469.html

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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