明治42年3月14日、伊藤博文来県

明治42年(1909)3月14日、伊藤博文(1841-1909)が来県。「海南新聞」は当日の模様を次のように記している。

伊藤統監の来着 統監安着 予て報道したるが如く、韓国統監公爵伊藤博文氏には愈々十四日午後一時三十分通報艦淀号にて糸崎港を出発せられ、海上無事仝日午後五時十分三津浜沖に安着せられたれば、三津浜埠頭へ出迎へたる安藤知事以下左記の人々は、第一愛媛丸に乗り込みて軍艦迄出迎へたり。安藤知事、西久保事務官、竹井事務官、聯隊長代理山中中佐、宮川工師長、大道寺温泉郡長、倉根伊予郡長、中本松山郵便局長、柿本原典獄、吉川赤十字社幹事、古川兵事主任、逸見三津浜町長、塩崎予備少尉、岡村三津警察署長、高須賀三津局長、林衛生課警部、古谷綱紀氏(久綱氏親父)、塩崎海南主事等。
当日は晴天なりしかども、折柄の強風にて愛媛丸は波涛の中を辛ふじて淀の舷門に接するや統監には村田少将、古谷秘書官、小山技師、以下属僚及び尾ノ道迄出迎へたる脇田事務官等を従へて悠然愛媛丸に移乗あり。軍艦よりは十九発の礼砲を以て之を送り、統監は挙手して之に答へつゝ愛媛丸は徐々防波堤内に入り魚市場前の仮桟橋に着したり。

埠頭の出迎 伊藤公を乗せたる第一愛媛丸の仮桟橋へ着するや岡村三津警察署長、先駆となり、続いて安藤知事の案内に依って統監にはいと機嫌克く上陸され仝所へ迎へたる安藤知事夫人、黒田警視、森税務署長、粒良松山病院長、西原裁判所判事、大政県参事会員、其他県会議員、温泉郡参事会員、郡会議員、三津町会議員、並に三津浜町官民有志消防夫等数千名の歓迎を受けられ、直ちに県庁より差廻し有りし貴賓車三人挽に乗じ栄町より藤井町、住吉町を経て三津駅に向ひたり。

三津の歓迎 三津浜に於ては統監の来港を歓迎せんが為め埠頭場の堤上には各船繋杭に国旗を立て波止の頭端には三津音楽隊の奏楽あり。仝町魚市会社を歓迎員の休憩に充て全町各戸は国旗を立てゝ敬意を表し、公の通行筋なる栄町より住吉町へ至る間の左側は三津浜高等尋常小学校、仝尋常小学校、古三津、新浜の各小学校生徒を以て充たされ、右側は一般歓迎者の為めに通行も自由ならざるの光景なりし。三津停車場に於ては一、三等待合室を打通して幔幕を張り、椅子茶菓を用意等、公の休憩場に充てらるも公は直様待ち構へたる特別列車に乗り込み、午後五時三十分、三津駅を発車せり。

三津駅の出迎 仝所に於ては長井松山市長、三神仝助役、市参事会員、市会議員一同、並に篠原道後町長、清水仝助役、仝町会議員四名、井上伊予鉄社長、仝社各課長、古三津村役場吏員等歓迎ありたり。

古町駅の歓迎 古町駅の出迎者は師範学校生徒及び当市各学校長教員等にして特別列車は機関車続替の為め五分間停車の上、午後五時五十分、道後線へ発車せり。

道後の光景 斯くて列車は古町駅より道後に向ひ仝六時五分、着駅し、それより統監には腕車にて一行及び安藤知事、西久保、竹井、脇田の三事務官、山内中佐及び其他歓迎員数十名を従へて鮒屋旅館に入りたり。而して仝町に於ける歓迎は予定の如く、小学校生徒は停車場前より湯ノ町両側に整列し、在郷軍人並に地方有志者は仝駅プラットホームに出迎へをなしたり。殊に仝町にては統監歓迎の意を表せんが為め停車場前即ち湯ノ町入口には高さ三間の大緑門を造り黒大豆の中に白大豆にて抜き出し、其周囲を蜜柑にて囲ひたる『伊藤公歓迎門』の扁額を掲げ、又仝停車場にはプラットホームの北側に幔幕を張り、伊予鉄の紋章を染出したる旗を吊るす等、総て歓迎の準備至らざるなかりき。

温泉入浴 公には鮒屋旅館に少憩の後、晩餐を喫せず、又た随行者をも伴はず、単独にて七時頃、温泉霊の湯に入浴したり。尚ほ村田少将、古谷秘書官等も続いて入浴したり。(明治42年3月16日付「海南新聞」句読点は引用者の付加)


伊藤博文は海路、三津浜港に到着。三津駅から伊予鉄の特別列車で古町経由、道後に向かった。道後での宿泊先は「鮒屋旅館」(現在の「ふなや」)。3月28日まで本県に滞在した(25日には三津浜訪問。当ブログ本年11月28日記事参照)。

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