子規の好物、焼芋

森鴎外が明治の学生を主人公に描いた小説『雁』に、「学生の買物は、大抵極まってゐる。所謂「羊羹」と「金米糖」とである。羊羹と云ふのは焼芋、金米糖と云ふのははじけ豆であったと云ふことも、文明史上の参考に書き残して置く価値があるかも知れない」という記述がある。明治の学生たちは焼芋のことを隠語で羊羹と呼んでいた。それが「文明史上の参考」になるほどだから、焼芋は菓子に代わるものとして、学生たちに好まれ、彼等の胃の腑を満たすものとなっていた。虚子の句に「十銭の焼いもは余り多かりし」というのがあるように、焼芋は当時、相当に廉価だったので、学生たちには歓迎されたのである。

子規はこの焼芋が大好物で、学生時代の作「啼血始末」にも「一番うまいのは寒風肌を裂くの夜に湯屋へ行きて帰りがけに焼芋を袂と懐にみてて帰り」云々と書いている。明治30年(1897)の冬の句には「喰ひ盡して更に焼いもの皮をかぢる」というのがあるから、その皮まで残さず食べていたようである。34年11月6日付の在ロンドン漱石宛の手紙には、「倫敦(ロンドン)ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」との文言も見える。

【参考文献】
『子規全集』第3巻(俳句3)講談社 1977年11月
『子規全集』第19巻(書簡2)講談社 1978年1月
『鴎外選集』第3巻 岩波書店 1979年1月
柴田宵曲『明治風物誌』ちくま学芸文庫 2007年8月

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テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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