真之の渡米、病床の子規

明治30年(1897)6月26日、秋山真之(東京海軍軍令部)にアメリカ留学の命が下った。正岡子規はその二日後にしたためた高浜虚子宛ての書簡の中で、このことにふれ、「秋山米国へ行く由聞きし処 昨夜小生も亦渡行に決したることを夢に見たり 元気未だ消磨せず身体老いたり 一噱(いっきゃく)」と述べている。子規の病は重く、前年よりすでに臥褥のままの状態。そんな状態でありながら、自身もまた「渡行に決したることを夢に見た」ので、「一噱」(大きく一笑)と添えざるを得なかったのであろう。

秋山真之の渡米出発は同年の8月5日。その日までに秋山が子規の家に別れを告げに行ったことがあったのだろう。子規は「送秋山真之米国行(秋山真之、米国へ行くを送る)」の詞書をもつ「君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く」の句をその夏にのこしている。秋山の出発の日、内藤鳴雪が子規の家を訪れた。秋山を見送っての帰りがけだったらしい。子規の「病牀手記」同日条には「八月五日 晴 朝内藤鳴雪先生訪ハル 秋山真之ヲ送ツテ帰リガケ」と、ただ事実のみが記されている。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第14巻(評論 日記)講談社 1976年1月
『子規全集』第19巻(書簡2)講談社 1978年1月
『子規全集』第22巻(年譜 資料)講談社 1978年10月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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