子規、明治18年の大晦日

明治18年(1885)大晦日の朝、正岡子規(数え年19歳)、下宿先より遁走……。下宿代が払えないために友人のところに逃げ込み、越年をはかったのであった。後年に書いた「新年二十九度」というエッセーの中で、子規はこの時のことを次のようにふりかえっている。

明治十八年の暮は井林清水両学友と共に同じ下宿屋にありしが初めて浮世の節季を知りぬ。下宿料の滞りは七八円に及びて誰も財布の底をはたきぬ。井林は廿九日頃より何処へ行きけん帰らず。余は三十一日の朝ある友の下宿に行きて除夜を其処に明かし後に残る清水は病気のまねして蒲団を被りしまゝ飯を喰はずに其日を送りければ流石の鬼婆も催促に来ざりしとぞ。元日も間がわるく二日の日に三人初めて下宿屋に顔を合せて笑ひながら去年を語れり。

 [注-『筆まかせ』第一篇「大三十日の借金始末」にも、この一件のことがやや詳しく記述されている。]


「井林」は井林廣政、「清水」は清水則遠。大晦日に逃げ込んだ先の「友」というのは、三並良(子規の母のいとこ)である。同年、夏の試験で子規は落第、この頃の子規は井林、清水、秋山真之、柳原極堂らと盛んに寄席通いをしていた。柳原によると、「その日、銭のある者が会計の賄い方となってよく寄席に遊んだものだ」という。子規は遊郭あそびなどをしなかったのであるから、下宿代として支払うべき金は、寄席通いのために消えてしまったのであろう。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月

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テーマ : 歴史
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