子規が「被告」として登場する作品

正岡子規が明治22年(1889)9月に書いた戯文に「啼血始末」というのがある。子規が閻魔大王の法廷に連れ出されて「被告」となり、同年5月の彼の喀血をめぐって、「判事」(閻魔大王)、「検事」(赤鬼・青鬼)から尋問を受けるというもので、当時の子規―まだ学生であった―の生活状況や心境が「被告」の陳述というかたちであるがままに述べられている。以下にその一部を引用してみよう。

判事「其方の姓名は」
被告「以前は蒲柳病夫と申したこともありましたが、今日ではそれは用ゐず、専ら子規生といふ名を用ゐます。又字の様に子規と書くこともあります。又ある友だちが都子規(ツネノリ)とつけてくれました」
(中略)
判事「東京へ出たのは何時のことだ」
被告「明治十六年でございます」
判事「其後健康の有様はどうだ」
被告「出京後は誰も制限する者がありませぬから、無暗に買ひ喰をして益々胃をわるくしました。毎日々々何か菓子を喰はぬと気がすまぬ様になりますし、おひおひ胃量も増してきまして六銭の煎餅や十箇の柿や八杯の鍋焼饂飩などはつゞけざまにチョロチョロとやらかしてしまひます。併し一番うまいのは寒風肌を裂くの夜に湯屋へ行きて帰りがけに焼芋を袂と懐にみてて帰り、蒲団の中へねころんで、漸く佳境へ入るとか、十年の宰相を領取すとかいってゐる程愉快な事はありません。イヤ思ひ出しても……」
赤鬼「コリャさう涎を垂らしてはいかん。其方は前に表へ出るのはきらひだといったが、始終内に居て読書でもしてゐたか」
被告「イヤ余り読書もいたしません。詩を作りますばかりで其余はどうしてくらしたが覚えません。殊に学校の課業を復習するは一番の嫌ひで、暗記すべき課業は鬼よりもイヤ鬼様よりもいやでございました」
青鬼「そんなことをいふと其方の為にならぬぞ。出京後はどうであった」
被告「出京後も同じことで学校の課業は勉強したことなし。前の日に取て帰った包を其まゝにあけもせず翌日持て行きて、本が違って居て叱られてゐました。落第などをやらかしたこともありました。落第して楽体になった抔(など)とむつかしく洒落てゐた様な横着物です」
赤鬼「小説を勉強したといふがどうだ」
被告「面白半分どころか面白十分で読みました。月に一円の貸本代を出したこともありました」
(中略)
判事「其方は口のへらぬ奴だなア。扨(さて)其方の喀血したは何時の事か」
被告「本年五月のことでございます」
判事「詳細の様子を申立てろ」
被告「五月九日夜に突然(何の前兆もなく)喀血しました。併し自分は喀血とは知らず咽喉から出たのだと思ひました(咽喉から出たことは前年ありました)。勿論喀血の咳嗽に伴ふことは後に知りました。翌十日は学校へ行かんと思ひましたが、朝寝して遅刻しましたから友達の勧めに従ふて医師の処へ行き診察を請ふと、肺だといふので自分でも少し意外でありました。医師はまた其日は熱が出るから動くなといひましたが、拠(よんどころ)なき集会があって其日の午後には本郷より九段坂まで行き、夜に入りて帰ると又喀血しました。それが十一時頃でありましたが、それより一時頃迄の間に時鳥(ほととぎす)といふ題にて発句を四五十程吐きました。尤(もっとも)これは脳から吐いたので肺からではありませぬから御心配なき様イヤ御取違へなき様願ひます。これは旧暦でいひますと卯月とかいって卯の花の盛りでございますし、且つ前申す通り私は卯の年の生れですから、まんざら卯の花に縁がないでもないと思ひまして『卯の花をめがけてきたか時鳥』『卯の花の散るまで鳴くか子規(ほととぎす)』などとやらかしました。又子規といふ名も此時から始まりました。箇様に夜をふかし脳を使ひし故か翌朝又々喀血しました。喀血はそれより毎夜一度づつときまってゐましたが、朝あったのは此時ばかりです」
(中略)
判事「帰国(注-帰郷の意)後医師の勧め通り養生したか」
被告「御馳走は喰ひますが、牛肉は堅いから常には喰ひません。牛乳鶏卵鶏肉及び鶏肉ソップが毎日の常食です。又葡萄酒は病気でない時は飲みます。(以下略)」


12月4日のブログ記事で述べた鍋焼饂飩八杯完食の件なども上引の中でふれられている。一連のやりとりでは、鬼を揶揄したり、駄洒落を言ったりするなど、ユーモラスな筆致が著しい。子規研究の専門家であった和田茂樹はこの作品を「諷刺的ユーモア作として、喀血後の心情を客観視し、これを超克した姿勢が窺える」と評している。当時の子規の伝記上の事実を知る史料としても注目される作品ではないだろうか。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第9巻(初期文集)講談社 1977年9月
和田茂樹『子規の素顔』愛媛県文化振興財団 1998年3月

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テーマ : 歴史
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