子規、うどん屋に叱られる

自他ともに認める大食漢であった子規。その大食にまつわるエピソードとして、学生時代に鍋焼きうどん屋に叱られるということがあったと子規が自身の筆で伝えている。

正岡升、井林博政(大洲人)と同居す。共に大食を以て聞ゆ。一日食慾甚だ盛なり。而して共に一銭の儲(たくはへ)なし。相携へて進徳館に行く。松木茂俊(桑村人)一人あり。両人茂俊に迫って鍋焼饂飩を買はしむ。蓋し茂俊等長く鍋焼屋の華客たり。故に負債を許すなり。茂俊已むを得ず、麺賈(注-うどん屋)を呼ぶ。一鍋又一鍋、三人各七鍋を傾く。麺賈、稍(やや)(あや)しむ者の如し。潜かに窓間を覗ふに、室内僅に三人のみ。而して升等猶一鍋を乞ふに至りて、麺賈怒って曰く、「公等何ぞ暴食の甚だしきや。七鍋の饂飩猶腹を飽かしむるに足らず、更に何鍋を喫せんとするや。不養生も亦極まれりと謂ふべし。我最早誓って一鍋をも売らざるべし」と。升等大に窮し、慇懃辞を尽し、更に各一鍋を乞ひ得て之を喫す。終て麺賈に向って曰く、「請ふ、更に一鍋づゝを与へよ」と。賈憤然として曰く、「更に無し」と。倉皇荷を坦ふて去る。行く事十数間、呼んで曰く、「鍋焼きうどーん」。


子規ら三人は各々鍋焼きうどん七杯を食べて、うどん屋から「暴食」「不養生」と言われるも怯まず、さらに各一杯を注文、これを食して、「もう一杯ずつくれ」と言ったところで、うどん屋は憤然、屋台を引いて逃げ去った。上引の記述は子規、青年時代の随筆『筆まかせ』第四篇「常盤豪傑譚」の中の一条。子規はこの一条を「正岡升鍋焼屋の訓誨を受く」と題している。

【典拠文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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