「漱石」という号

夏目漱石の号が「漱石枕流」の故事に由来することはよく知られている。この故事はいくつかの漢籍に出るが、漱石自身は『蒙求』によったと言っている。

小生の号は、少時蒙求を読んだ時に故事を覚えて早速つけたもので、今から考へると、陳腐で、俗気のあるものです。(「中学世界」明治41年11月)

漱石といふ故事は蒙求にあります。従って旧幕時代の画印にも俳人にも同じ名をつけた人があります。私が蒙求を読んだのは小供の時分ですから前人に同じ雅号があるかないか知りませんでした。然しざらにある名でもなく又全くない名でもなく丁度中途半ぱで甚だ厭味ポイ者です。(「時事新報」大正2年10月2日)


『蒙求』に出る「漱石枕流」の故事を引いておこう(『蒙求』では「孫楚漱石」の題で出る)。

初楚少時欲隠居、謂王済曰、当欲枕石漱流、誤云漱石枕流。済曰、流非可枕、石非可漱。楚曰、所以枕流、欲洗其耳、所以漱石、欲其歯。

[初め楚(孫楚)(わか)き時、隠居せんと欲し、王済に謂(い)ひて曰(いは)く、当(まさ)に石に枕(まくら)し、流れに漱(くちすす)がんと欲すといふべきを、誤りて石に漱ぎ、流れに枕すと云(い)へり。済曰く、流れは枕すべきに非ず、石は漱ぐべきに非ずと。楚曰く、流れに枕する所以(ゆゑん)は、その耳を洗はんと欲す、石に漱ぐ所以は、その歯を(みが)かんと欲すと。]


「当初、孫楚がまだ若い時、隠居しようと思い、王済に向って、石を枕とし、流れに口をすすぐ(俗世間から隠遁して自然に親しみ心を清めるという意)というつもりだったが、言いそこなって、石で口すすぎ流れに枕するといってしまった。王済はそれをとがめて、流れに枕することはできない、石で口すすぐこともできないではないかと言うと、孫楚は強情を張って、流れに枕するというのは、汚れた耳を洗うためであり、石に口すすぐというのは、歯を磨こうと思うからだと答えた」-詭弁を弄して誤りを正しいと言い張ったのが「漱石枕流」の故事。この故事により「漱石」は頑固もの、へそ曲がり、変りものを意味する。

「漱石」は正岡子規の雅号の一つでもあった(『筆まかせ』「雅号」明治23年)。子規が夏目金之助に「漱石」の号を譲ったという説もあるが、どうもそうではなく、この二人が「漱石」と号したのは偶然の一致だったようである(坪内稔典『子規山脈』)。なお、付け加えておくと、江戸時代には画家、俳人合わせて少なくとも六人の「漱石」がいた(『漱石全集』第25巻の注)。明治時代には平山漱石(本名忠太郎)、原口漱石(本名誼三郎)という漢詩人もいたようである(奥本大三郎「漱石という雅号」)。

【典拠文献・参考文献】
早川光三郎釈注『新釈漢文大系58 蒙求(上)』明治書院 1973年8月
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
奥本大三郎「漱石という雅号」(岩波書店刊『漱石全集』月報13) 1995年2月
『漱石全集』第25巻 岩波書店 1996年5月
坪内稔典『子規山脈』NHKライブラリー 1997年10月

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テーマ : 雑記
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