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木梨軽太子(きなしかるのみこ)伝説

『古事記』下巻に木梨軽太子(きなしのかるのみこ)の同母妹密通事件についての記述がある。木梨軽太子は允恭天皇の子、皇位継承者であったが、実の妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)と異様な恋愛事件を起こして失脚、伊予に流され、あとを追って来た軽大郎女と心中したと『古事記』の記述にはある。松山の姫原にはこの二人の墓と称するものがあり、これを「姫塚」と呼んだことから今の姫原の地名があるという。

白方勝『日本古代文学史における疎外されたひとびと』によると、軽太子のこの伝説の原拠は、オペラのようなものではなかったかという。貴族の邸宅等で語りに合わせて上演された音楽劇、そうした劇として演じられたものであって、「軽太子も軽郎女も劇中の人物であり、劇中において伊予に来たのであり、「史実」ではなかった」と同書ではいう。姫原の「姫塚」と呼ばれるものは、もともと土地の豪族の姫の墓であり、その塚が軽太子・軽大郎女の墓に造りかえられた。並びたつ二基の五輪塔は古そうに見えるが、明治以降のもので、姫原という地名も、「粃米(ひめ)飯」のよくとれる原がもともとの意だと同書では述べられている。

京都(下京区堺町通松原上ル夕顔町)には『源氏物語』の登場人物、夕顔の墓と称するもの(「夕顔塚」)があるが、姫原の軽太子・軽大郎女の墓もその類のものであったようである。

【参考文献】
西宮一民『古事記』新潮日本古典集成 1979年6月
大石慎三郎監修『日本歴史地理大系39愛媛県の地名』平凡社 1980年11月
白方勝『日本古代文学史における疎外されたひとびと』晴耕雨読 2009年8月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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